2016.12.2 11:30

【乾坤一筆】悲劇の裏に同じぐらいの感動も

【乾坤一筆】

悲劇の裏に同じぐらいの感動も

特集:
ベテラン記者コラム・乾坤一筆
ドーハの悲劇は日本列島にも衝撃が走った

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 10月からゴルフを担当している。「日本女子オープン」で17歳の畑岡奈紗が史上初めてアマチュアでメジャー制覇を果たしたのを皮切りに、松山英樹が「日本オープン」で国内メジャー初制覇するなど11月の「三井住友VISA太平洋マスターズ」まで4戦3勝…。トピック満載で同僚からは「持ってますね」と冷やかされた。

 9月まで僚紙「夕刊フジ」に在籍していた。ゴルフの取材現場には当時から付き合いのあった記者仲間もいた。その中のゴルフライター氏に過去の“功績”を指摘された。いわく「3大悲劇記者ですよね」。

 1993年10月28日、オフト監督率いるサッカー日本代表はカタール・ドーハでのイラク戦でロスタイムに同点とされ、翌年のW杯米国大会出場を逃した。「ドーハの悲劇」で頭が真っ白になった。この結果、韓国の出場が決まり、記者席にいた同国の記者が小躍りして出ていった姿をいまも鮮明に覚えている。

 翌94年2月23日、リレハンメル冬季五輪ジャンプ団体で日本は、最終ジャンパーの原田雅彦がまさかの大失敗ジャンプ。つかみかけていた金メダルを逃した。岡部孝信ら仲間が原田に駆け寄り、「いいじゃないですか、銀メダルですよ」とたたえる姿を目の前で見て少し救われた。隣では逆転優勝したドイツのバイスフロクがもろ手を挙げて歓喜していた。

 99年7月18日、24年ぶりにスコットランド・カーヌスティで開催された「全英オープン」最終日。2位に3打差をつけて最終ホールを迎えたフランスのジャン・バンデベルデは、ダブルボギーでもメジャー初優勝という栄冠が近づいていた。

 しかし、第2打が観客席に当たってラフへ、第3打はクリークへ。一度は裸足になって水の中から打とうとしてあきらめた。その後バンカーにもつかまって、結局6オン1パットのトリプルボギーをたたき、プレーオフの末に優勝を逃した。壮絶な「カーヌスティの悲劇」だった。

 これまで出くわした悲劇の現場は実はこれだけではない。ただ、最後まで何が起こるかわからない。悲劇があれば、同じぐらい感動もある。それをうまく伝えられれば、と思う。

■清野 邦彦(せいの・くにひこ)

 1987年入社。夕刊フジ報道部、運動部の記者として、高校野球、サッカー、冬季五輪、W杯などを取材。運動部デスクを経て、11年に運動部長。16年10月にサンケイスポーツに異動し、運動部編集委員。1980年、高校2年の時に母校(山形南)が出場した夏の甲子園に“応援”に行ったことが小さな自慢。

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