2017.11.10 10:00(3/4ページ)

【賀川浩 W杯の旅】衝撃!クライフに未来を見た

【賀川浩 W杯の旅】

衝撃!クライフに未来を見た

特集:
賀川浩 W杯の旅
賀川浩氏

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 いずれにしても劇的で「全員攻撃、全員守備、コンパクト、飛び出し」などという現代のサッカーへの転向点となる試合をワールドカップ決勝という大舞台で、40年以上も前に見ることができたのは、感謝すべきことだった。

 がんに冒されていたクライフは16年、68歳で人生のピッチから去った。来年のロシアW杯にオランダが出場しないのは残念だが、世界のサッカーにはクライフの考えが流れている。W杯は勝敗はもちろん、サッカーの進歩を披露する場でもある。予選を勝ち抜いた国々が、一度見た人々が決して忘れることがないクライフのような革新的なサッカーを見せてくれるのか。興味は尽きない。 (サッカージャーナリスト)

★一度だけの出場

 クライフのW杯出場は74年の西ドイツ大会だけだった。78年のW杯予選は出場したが、「家族と2カ月も離れて暮らすようなことはしたくない」とアルゼンチンでの本大会は辞退した。母国語のほかに英語とスペイン語を話すことができ、74年W杯では会見でオランダ代表のミケルス監督の代わりに答えることも多かった。ベンチ入りしない選手に対するチーム方針も伝える役目もあり、悩みとなった。80年のインタビューでその苦悩を賀川氏に明かしていた。

★自費出張で何とか西独へ

 これまで10大会のW杯の取材歴がある賀川氏が初めて取材したのが74年の西ドイツW杯だった。70年のメキシコW杯の取材パスも取得済みだったが「運動部長(当時の賀川氏の役職)が1カ月会社におらんかったら紙面ができん」と上司から許可が出なかった。

 4年後は編集局次長だった。デサント社に掛け合いアディダス社の広告出稿を取り付け、出張費は自費という条件で会社と再交渉。上司から許可が出た。

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  • 賀川氏が原稿を書いた1974年7月9日付、サッカーW杯決勝西ドイツ-オランダサンスポ紙面
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