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【二十歳のころ 手倉森誠(2)】ピンとこなかった中山と井原の「絶対W杯へ行こう」

【二十歳のころ 手倉森誠(2)】

ピンとこなかった中山と井原の「絶対W杯へ行こう」

特集:
二十歳のころ
住金入社1年目。誠(右端)と弟・浩(右から2人目)は2組の双子兄弟(もう1組は森島兄弟)として社内報で紹介された

住金入社1年目。誠(右端)と弟・浩(右から2人目)は2組の双子兄弟(もう1組は森島兄弟)として社内報で紹介された【拡大】

 初めて袖を通す日の丸のユニホームに、気持ちは高ぶった。18歳の1986年1月。アジアユース選手権(現U-19アジア選手権)に向けた代表合宿に参加した。

 1次予選は韓国との一発勝負。当時のユース日本代表は最強世代といわれた。FW中山雅史(現J3沼津)やDF井原正巳(現J2福岡監督)らを擁し、日本リーグの強豪だった古河電工や日産自動車との練習試合でも互角の勝負を演じるほどだった。

 富士通との壮行試合に私はトップ下で先発。しかし、PKを外してしまった。韓国・仁川で行われた本番は途中出場となった。延長の末に2-4で敗退。試合後、期待に応えられず落ち込んでいると、中山と井原が顔を上げ「この悔しさを忘れず、絶対にワールドカップへ行こうぜ!!」と呼びかけた。

 えっ!! ワールドカップ!? 彼らは何をいっているのだろうと、ピンとこなかった。Jリーグもなかった時代だ。日本はW杯出場はおろか、世界ユース選手権ですら自国開催の79年に1度出ただけ。正直いって現実味がわかなかった。

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