2017.8.29 11:00

【二十歳のころ 手倉森誠(1)】同級生に「情けねえ兄貴だな」と笑われた

【二十歳のころ 手倉森誠(1)】

同級生に「情けねえ兄貴だな」と笑われた

特集:
二十歳のころ
手倉森誠氏

手倉森誠氏【拡大】

 大型連載の第22回は、サッカーU-23(23歳以下)日本代表の監督として2016年リオデジャネイロ五輪出場を果たし、現在はW杯ロシア大会出場を目指すA代表のコーチを務める手倉森誠氏(49)。双子の弟・浩氏と幼いころから常に比較され、苦汁をなめた。社会人リーグ時代にはプロ化の波に乗れず、その後に無一文になるなど、苦難の体験が指導者としての人生につながった。

 二十歳のころは、双子の弟の背中を追いかけていた。生まれ育った青森県三戸郡五戸町は、八戸市に隣接する人口約1万8000人の小さな町。サッカーが盛んで、幼いころから同じ仲間でボールを蹴っていた。

 弟の浩と私は、FWやMFでプレーした。1979年、小6(12歳)のとき、五戸SSSとして全日本少年サッカー大会に出場してベスト4に入った。そのとき、弟との差に初めて気づいた。彼だけが優秀選手に選ばれたのだ。自分も選ばれると思っていたから、それから落ち込んで、サッカーに集中できなくなった。

 五戸中、五戸高と一緒に進学したが、弟は世代別の日本代表に選ばれるようになる。「浩が代表に行っているのに、なんでオマエはここにいるんだ。情けねえ兄貴だな」と同級生に笑われた。高2のとき全国選手権に出場すると、地元の新聞は弟を「手倉森浩」とフルネームで書いたが、私は「手倉森兄」と、あくまで“浩の兄”という書き方をされた。そのとき決意した。自分もユース日本代表に選ばれ、「誠」と呼ばれてみせると。

 最上級生になると、すかさず主将に立候補した。中学で学級委員長をやっていたから、人前で話すのは得意。そのころ、弟は極端に口数が減った。代表で点を取って帰ってきても、喜んだ表情を見せなかった。私に気をつかっていたのだろう。

 双子でもプレースタイルや性格は違う。弟は自らボールを前に運ぶ力強いタイプ。私は周囲と絡んでパス交換するのが好きだった。私は先輩たちともコミュニケーションを取るけれど、弟は上とは絡まない。おかげで弟と間違われてケンカを売られ、身に覚えのないことで職員室に呼び出されたこともある。

 高3の全国選手権は好調で、ミドルシュートやフリーキックが狙った場所に面白いように決まった。弟が風邪で体調を崩して五戸高はベスト8止まりだったが、私は大会の優秀選手と目標だったユース代表に選ばれた。弟は膝を痛めて代表を辞退した。

 18歳の86年1月、国鉄・八戸駅。ユースアジア選手権(現U-19アジア選手権)に向けた合宿に参加するため、寝台特急「はつかり」で上京した。「手倉森誠くん、万歳!!」。見送りにきた同級生の唱和が、夜のホームに響きわたる。晴れがましさと故郷を出るさみしさが、胸に迫った。 (あすに続く)

■手倉森 誠(てぐらもり・まこと)

 1967(昭和42)年11月14日生まれ、49歳。青森・五戸町出身。五戸高時代は双子の弟・浩氏と3年の全国選手権でベスト8。主にMFとして住友金属(現鹿島)、NEC山形(現山形)でプレー。95年に現役引退。96年に指導者となり、2008年に仙台の監督に就任。09年にJ2で優勝してJ1昇格に導く。14年1月にU-21日本代表監督に就任。16年1月のリオ五輪アジア最終予選で優勝。同8月の本大会では1勝1分け1敗で1次リーグ敗退に終わり、監督を退任。同9月にA代表のコーチに復帰した。現役時代のサイズは1メートル72、74キロ。

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