
サッカー復興支援チャリティーマッチ(29日、日本代表2−1Jリーグ選抜、大阪・長居)踏み出す一歩に、1本のパスに、小笠原は万感の思いを込めた。
「プレーしている間、そればっかり思っていましたね。1人1人の顔が浮かんできました」
まぶたの裏にあったのは、岩手で目の当たりにした光景だった。鹿島が活動休止になった翌日の17日から自家用車に援助物資を積み、日本海周りで向かった。ガレキの海になった故郷。高校時代を過ごした大船渡市や夫人の出身地・陸前高田市の避難所で、懸命に生きる被災者と、救助に当たる人々の必死な姿を見た。「みんな歯を食いしばって生きていた」。深い思いを背負ってピッチに立った。
震災が起きた11日以降は、2週間以上練習ができなかった。右ひざ痛も抱え、本来の姿ではなかったが、「みんなが助けてくれた。サッカーも助け合いなんだと思いました」と笑った。宿舎やスタジアムでは、J選抜チームの選手が小笠原の話に耳を傾けた。長期的支援と東北サッカーの復興を訴える声にカズや中村俊、中沢らが賛同し選手会や協会も動きだした。
J1仙台所属のFW梁、MF関口も躍動した。後半30分には「被災した宮城県民の代表としてプレーした」という関口が、ゴール右にわずかにそれるシュートでスタジアムを沸かせた。攻守の起点となった梁は「宮城が早く元に戻れるように」と前を向き、この日から練習を再開したチームと本拠地に思いを向けた。
小笠原の発案から選手会も被災地での慈善試合開催を目指している。「今だけで終わらせないように、みんなで協力していく」と小笠原。故郷への思い、復興への祈りは、サッカーを通じて確かな形になり始めた。(佐藤ハルカ)
(紙面から)