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最後までオシム節…熱弁後、貧血で真っ青

2009.1.5 05:06
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最後までオシム節…熱弁後、貧血で真っ青
約300人のサポーターの見送りを受け、握手攻めにあうオシム氏(撮影・浅井武)【フォト】

 前日本代表監督のイビチャ・オシム氏(67)が4日、自宅のあるオーストリアに帰国するため、成田空港発の航空機で離日した。07年11月16日に急性脳梗塞(こうそく)で倒れて代表監督を離れた後、日本協会と結んでいたアドバイザー契約も昨年限りで終了。知将は6年間指導した日本サッカー界に“オシム節”で別れを告げたが、出発前、貧血で座り込むハプニングも発生した。

 日本を愛し、日本に愛されたオシム氏にさよならを言いたい。成田空港の出発ロビーには、03年から3年半指揮した千葉のサポーター約300人が見送りにきた。教え子の日本代表MF阿部勇樹(浦和)、北京五輪代表監督の反町康治氏(湘南監督)の姿も見える。

 「ありがとう!! オシムさん」。左半身に不自由が残る老将は右手を振り、サインも可能な限り応じた。いつもは照れ隠しに憎まれ口をたたくが、この日は違った。

 「多くのサポーターに見送られるのは、うれしいこと。日本にオシムがいたことを忘れていない証拠でしょう。私も日本を去りたくなかった」

 07年11月に急性脳梗塞に倒れ、志半ばで代表監督を退いた。それでも滞在6年で残した功績は計り知れない。小さな日本人が世界と戦う術に「考えて走るサッカー」を掲げ、豊富な運動量とパスの重要性を説いた。ウイットに富んだ言い回しはオシム節と呼ばれ、サッカーに哲学を注入した。

 そして最後のオシム節。それはサッカーの根源にかかわる提言だ。

 「日本には不必要なプレッシャーを感じる選手がなんと多いことか。どんな結果も悲劇と考える必要はありません。サッカーは楽しむもの。本当の悲劇はサッカー以外の分野や、世界のあちこちで起きている」

 オシム氏はW杯出場を目指す岡田ジャパンにもエールを送り、約15分間の熱弁を終えると力尽きたように座り込んだ。その顔は真っ青。一時、周囲は騒然としたが、順大病院の担当医が脈を計り、水を飲ませ、どうにか回復。軽い貧血だった。車いすで搭乗口に向かうことになったが、去り際の一言がふるっていた。

 「みなさん、早まって私が死んだと報道しないように」

 まさに不屈のオシム節。日本のため、命がけで仕事に取り組んだ老将をみんな忘れない。(浅井武)

★今後は未定

 オシム氏のオーストリア帰国後の予定は白紙。健康問題がクリアできていない。「なにかやりたいと思えば、ひとつひとつドクターの判断を仰ぐことになる」。現場復帰の意欲を燃やすが、責任感が強く、中途半端な活動を嫌う。昨年の千葉の低迷を例に挙げ、「スタートでつまずき、大変なシーズンだった。もし私が監督なら生きていないだろう」とプロ監督の重責を口にした。

イビチャ・オシム

 1941年5月6日、ボスニア・ヘルツェゴビナ(旧ユーゴスラビア)・サラエボ生まれ、67歳。現役時代のポジションはFW。主にフランスリーグでプレーし、現役を引退した78年から指導者として活躍。86年にユーゴスラビア代表監督に就任し、ストイコビッチ(現名古屋監督)らを擁して90年イタリアW杯で8強入り。03年に市原(現千葉)監督に就任、05年にナビスコ杯を制覇。06年7月に千葉監督を退任後、日本代表監督に就任した。しかし、07年11月に脳梗塞(こうそく)で倒れ、監督を退任した。


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