2006年07月02日 更新

オシム氏、代表監督へ…“3者会談”大筋で合意

オシム

1日午後9時から“3者会談”に臨んだオシム氏(左)。最終的にクラブ側から“65歳の挑戦”を容認された。右は淀川社長

オシム

“3者会談”の前に行われた練習でも、いつもの“オシム流”は変わらなかった(撮影・中島信生)

日本サッカー協会・田嶋幸三技術委員長(48)が1日、次期日本代表監督の就任を要請しているJ1千葉のイビチャ・オシム監督(65)、淀川隆博社長(55)と千葉の合宿先である岐阜・飛騨古川で“3者会談”に臨み、「オシム・ジャパン」誕生へ大筋で合意に達した。千葉側が就任に前向きなオシム氏の“65歳の挑戦”を最終的に尊重した形。ドイツW杯閉幕後の10日前後にも、新体制が発足する運びとなった。

紆余曲折の1週間を経て「オシム・ジャパン」が誕生する。

「早急にクリアする問題はありますが、オシム監督の強い気持ちを感じた。これで方向性が出たと言ってもらって構いません」。午後9時に始まった“3者会談”から約1時間45分が経過。吹き出す汗をぬぐう田嶋技術委員長に安堵の表情が広がった。

6月30日にW杯視察中のドイツから緊急帰国して、その足で千葉に向かい淀川社長と会談。そしてこの日は、空路・富山へ飛び、千葉が合宿する飛騨古川へ。会談開始予定の午後7時半からオシム氏、淀川社長を約1時間半待ち続けたが、オシム氏しかいない…というその誠意は通じた。

会談の冒頭では、日本サッカー協会・川淵三郎キャプテンの“失言”で公になったこと、契約期間中の監督に就任要請したことを改めて謝罪。それでも「われわれとしてはオシム監督の人柄、ピッチや人生の経験がベースにあるからお願いしたい」と三顧の礼を尽くして就任を強く要請した。

一方の千葉側にとっては苦渋の決断だった。それは、オシム氏がチームを思いやってか、たかれるフラッシュに目を細めながら、無言で会談場所から立ち去ったことでも分かる。

「サポーターやスポンサーに対してなど問題はいろいろある。私ひとりが“ハイ”といって済むことではない」と淀川社長。それでも最終的には“65歳の挑戦”をクラブとして後押しすることを決断した。指揮官を失う影響はあるが、後任には長男でコーチを務めるアマル氏(37)を昇格させることで内定している。

「千葉も代表も早く切り替えるべきだし、監督の意思を尊重した方がいい。これ以上われわれの立場を通しても、オシムさんが両方をやめてしまうという選択もあるから…」と同社長。今後、千葉ではサポーター・ミーティングなどで事情を説明し、理解を得ることに全力を挙げる。

日本代表監督は98年フランスW杯で岡田監督が務めたあと、02年日韓W杯ではトルシエ監督(フランス)、そしてドイツW杯ではジーコ監督(ブラジル)がさい配を振るった。これで三代続けて外国人監督が指揮を執ることになる。

田嶋技術委員長は「W杯終了後には決めたい」と明言した。千葉側に配慮しながら、早ければ10日前後にも正式契約を結び「オシム・ジャパン」が正式に発足する。

(芳賀宏)

★普段どおり…“オシム流”練習 

“3者会談”に臨む前のオシム氏は、合宿2日目で自慢の2部練習を敢行した。とくに午前は2時間以上休みなく全選手が走り続ける過酷なメニュー。日本代表監督就任をめぐる交渉が大詰めを迎える直前でも、“オシム流”は微動だにしなかった。

走って、走って、まだ走る。約40分間のアップ代わりのランニングなど序の口。すぐさま休みなく4対2のパス回し、そして6対6のミニゲームへとなだれ込む。練習の合間に選手の移動ペースが緩もうものなら「疲れているのは分かるが休むな!」などと気合を入れ続けた。

選手に1試合90分間走り抜かせるスタミナを心身ともに植え付けることが狙い。思えば、ドイツW杯での最大の敗因は90分間走り抜くことができなかったことだ。とくに初戦の豪州戦、続くクロアチア戦はピッチ上の体感温度が30度を軽く超す灼熱地獄で終盤には完全に足が止まった。

ノンストップの“オシム流”。ゼロからの出発をはかる日本代表が最も必要としているのかもしれない。

★オシム氏、イングランド−ポルトガル戦にクギ付け

“3者会談”を終え、午後11時に無言で会場を後にしたオシム氏は寄宿後、ロビーのテレビで日本時間2日午前零時開始のドイツW杯準々決勝イングランド−ポルトガルを観戦した。日本代表監督就任が事実上決定して興奮が冷めやらないのか、千葉の関係者やサポーターを思って寝付けないのか。2日の練習は午前9時からとまたも朝は早いが、視線はブラウン管にくぎ付けになっていた。

■イビチャ・オシム

1941年5月6日、ボスニア・ヘルツェゴビナ(旧ユーゴスラビア)・サラエボ生まれ、65歳。現役時代のポジションはFW。59年に地元のFCゼレツカニール・サラエボでプロデビュー。以後、主にフランスリーグでプレーし、現役を引退した78年から指導者として活躍。86年にユーゴスラビア代表監督に就任し、90年イタリアW杯8強に導く。03年に市原(現千葉)監督に就任。昨季ナビスコ杯優勝に導き、クラブにJ初タイトルをもたらすなどクラブの再建に成功した。

■オシム氏問題経過

★6・24 日本サッカー協会・川淵キャプテンが失言。ドイツW杯からの帰国会見で次期日本代表監督を「オシム…」とポロリ。W杯開幕前に田嶋技術委員長が就任要請していたことが発覚
 ★6・25 千葉・淀川社長が「オシムさんの意見を尊重する」と日本代表監督就任を容認する姿勢を示す
 ★6・26 オシム氏が2年契約を基本にしていることが判明。千葉は緊急幹部会議を開き、前日とは一転、オシム氏に契約通り今季中の続投を要請することを決定
 ★6・27 オシム氏がオーストリアの自宅で田嶋技術委員長から正式に就任要請を受ける。交渉は1時間半。オシム氏は受諾に前向きな姿勢
 ★6・28 オシム氏が本紙に新生日本代表の構想を激白。中盤の軸として、ドイツW杯メンバーからもれたMF松井大輔(ルマン)に期待していることを明かす
 ★6・29 オシム氏が来日。成田空港などで展開されたサポーターの引き留めデモに、千葉側に就任受諾の回答を伝えることを保留
 ★6・30 オシム氏が岐阜・飛騨古川でスタートした千葉の夏合宿を指揮。緊急帰国した田嶋技術委員長は千葉側に事前交渉を改めて謝罪。“3者会談”の実施が決定