ジーコJAPANの終焉…次期監督に託した日本の進化
退任会見を終えてJFAハウスを出るジーコ監督。集まったファンに手を振って別れた(撮影・寺河内美奈)
日本代表・ジーコ監督(53)は26日、ドイツW杯の敗退に伴い東京・文京区のJFAハウスで退任会見を開いた=写真上。4年間を振り返り、改めて「世界で戦うにはもっとフィジカルが必要だ」と提言。「次の監督には“日本は技術があるが欠けているものがある”とメッセージを残したい」と次期監督就任が決定的な千葉・オシム監督に日本の進化を託した。
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夢を果たせなかった悔しさを飲み込んだ。そして、ジーコ監督は次期監督に夢を託した。
「日本には力のある選手がそろっている。サッカーは芸術だが、今の世界はパワーのプレーで勝負している。体格差で踏みつぶされてしまう。90分間耐えうる体を作れば、日本のよさはもっと出せるはずだ」
最後は高さとハイボールに翻弄された12日の豪州戦、ゴールをこじ開けられなかった18日のクロアチア戦、そして力の差をみせつけられた22日のブラジル戦。これらのシーンが今でも頭を離れていなかった。
もう少し、大きな相手に対抗できる体があったら…。愛する日本にW杯で美酒を味わってもらいたい。だからこそ、隣に座る日本サッカー協会・川淵三郎キャプテンを意識するかのように、課題とプランを提案した。
「スポーツ医学的に世界とも交流して、若い世代から体作りをしてほしい」。かつては世界を席巻しながら低迷が続く日本のバレーボールを引き合いに「サッカーでは同じようになってほしくない」と願った。
「次の監督も一生懸命やると思う。ただ自分の見てきたもの、つまり“日本は技術があっても、まだ欠けているものがある”というメッセージを残したい」
名前こそ出さなかったが、日本で3シーズン指揮をとってきたオシム監督なら、きっと理解してくれると信じての伝言だった。あとは任せた。オシム流の味付けで、日本が世界基準に進化していくことを祈っている。
(芳賀宏)
■ジーコ
本名はアルトゥール・アントゥネス・コインブラ。「ジーコ」はポルトガル語の愛称「やせっぽち」。1953年3月3日、ブラジル・リオデジャネイロ生まれ、53歳。67年ブラジルの名門フラメンゴ入団。晩年はセリエA・ウディネーゼでもプレー。89年に引退も91年に住友金属(現鹿島)で復帰。Jリーグは初年度の93年から参加し、94年第1ステージ終了後に現役引退した。代表通算89試合66得点。W杯には78、82、86年に出場して14試合5得点。J通算23試合14得点。02年7月に日本代表監督に就任。
■今後のジーコ監督は?
ジーコ監督は一両日中にもブラジル・リオデジャネイロに帰国する。「当面はリオで仕事をすることになるが、チャンスがあれば欧州で監督をしたい」と改めてクラブチームでの指揮に意欲を示した。W杯では監督としての手腕は必ずしも評価されなかったが、現役時代に在籍したセリエA・ウディネーゼなどを中心にオファーを待つことになりそうだ。また「一度日本を離れるが、世界のどこにいても力を貸したい。将来、監督や違う形で日本で仕事ができることを願う」と日本復帰の可能性も示唆した。
★ジーコ監督、日本に感謝
“超ビッグネーム”として90年に初来日したジーコ監督は「この15年間、招請してくれた住友金属(鹿島の母体)の尽力がなければ代表監督になることもなかった。ここで感謝したい」と語った。Jリーグ創設ではけん引役となり、最後は代表監督も務め「自分の経験を駆使できたし、代表にはどんな相手にも勝てるという自信を植え付けることはできたと思う」と振り返った。帰り際には、近所の子供たち約70人がJFAハウス前に詰めかけ、ジーコ監督も別れを惜しむように車内から手を振った。
★川淵三郎キャプテン引責の可能性も
日本サッカー協会・川淵三郎キャプテン(69)は26日、W杯1次リーグ敗退の責任について「ファンの腹立ちを思えば、何かの責任は取らなければとも思う」と、引責の可能性も含めて検討していることを明らかにした。
敗退が決まった22日のブラジル戦後には「辞めることの方が無責任」と辞任の意向がないことを明言。「監督が辞めたから会長が辞めるというのはサッカー界にはない」とし、次期チームの強化や普及・発展に力を尽くす方針を示していた。
しかし、帰国後の国内の反応などをみて「今はまだ考えがまとまらない。黙って少し考えたい」と揺れる心境を吐露した。日本サッカー協会に会長への解任動議権はなく、進退は辞意か各都道府県の評議員による投票で決議される。