2006年06月24日 更新

ジーコ監督、愛するジャパンへの“遺言”−日本代表監督退任へ

ジーコ監督(左)

1次リーグ敗退とともに幕を下ろしたジーコ・ジャパン。ジーコ監督(左)の母国との対戦がラストゲームになった(共同)

ジーコ監督

ジーコ監督(AP)

母国ブラジルとの戦いに1−4惨敗…。大逆転での1次リーグ突破という奇跡は起こせなかった。この敗北を最後に日本代表監督を退任するジーコ監督(53)が日本サッカー界に“遺言”を残した。

豪州戦は後半39分からの3失点で1−3逆転負け、クロアチア戦は攻めながらも0−0ドロー。そして22日のブラジル戦は、02年10月の初陣から72戦目で初めてメンバーを当日まで公表せず。不振のFW高原&柳沢に代えて玉田&巻を投入するなどしたが、過去2分け5敗というサッカー王国の壁は高かった。

02年7月20日に日本代表監督に就任。この4年間で決定力、追い込まれたときの精神力を“世界基準”にすることはできなかった。監督として批判は受ける。しかし、あえて提言する。

元ブラジル代表の世界的スターが、91年5月20日に住友金属(現鹿島)の選手としてまだプロもない日本に来た。住友金属のロッカーで、選手がスパイクを粗末に扱うのをしかり飛ばしてから15年−。母国同様に愛する日本へ、最後の言葉を贈った。

第1戦の豪州戦の最後の8分間(3失点)が致命的だった。あれで日本は困難な状況になってしまった。ブラジル戦が原因で敗退したわけではない。満足できない残念な結果だが、選手は全力を尽くそうと素晴らしい闘志を見せてくれた。

私の日本代表監督としての契約はこのW杯で終わる。これまで寄せてくれた信頼には感謝してもしきれない。私自身ができることは全力で伝えてきた。この4年間、いい仕事ができた。

日本代表は8月に再開するアジア杯予選に、すぐに取りかからなければならない。日本はプロ化から10数年。世界でも相手から注意を引くようなチームに育った。だが、まだ欠点もある。もっと成長していかなければならない。

まず世界と差があるのはプロフェッショナリズム。海外でも国内でも多くの試合に出て経験を積むべきだ。普段から“オレはこれで飯を食っている”という意識で、課題に取り組まないといけない。軽い気持ちでW杯に来た選手もいたかもしれない。

そして、もっと肉体的に強くならないといけない。豪州やクロアチアを見れば分かるが、日本の対戦相手はいつもハイボールを入れればいいと思っている。身体能力の向上が不可欠だ。

また日本は、試合のどの部分でも同じプレーをしてしまう。勝っているときの試合運びを学ばないといけない。どうしたらいいか…。そこに必要なのは経験。教えるだけでは学べない。さらにはフィニッシュの精度の問題だが、どうしても焦りが出てしまう。

日本の文化なのか、仲間ともケンカをしない。今ひとつ元気がない。もっと意見をぶつけ合ってほしい。単なる仲良しクラブではW杯というものは勝ち抜けないんだ。

ドイツ入り後、高原のけがや中村の発熱などで23人全員がそろって練習できなかった日が多かったのは難しかった。暑さもありリズムが崩れた。日本サッカーを変えられる世代だっただけに残念に思う。

ジーコ監督(左)とディックマン市長(中央)主将DF宮本

ジーコ監督(左)ら日本代表はボンのディックマン市長(中央)にお別れのあいさつ。右は主将DF宮本(撮影・小倉元司)

ブラジル戦では初めて事前に先発メンバーを公表しなかった。メンバー隠しは、今まで必要ないと思っていたからね。過去に、戦術を読まれたことはあったかもしれないが、奇策は長く通じないと考えてやってきた。当日、先発2トップに玉田と巻を入れたのは、前の2試合とも点を取れなかったからだった。

ブラジルがやったサッカーをやりたかった。相手のメンタルをいじるようなパス回し。FWにはロナウドがいたら…とも思う。だが、ブラジルも最初から世界王者だったわけではないんだ。アフリカの国々のように、日本も伸びていってほしいんだ。

こういった結果になって寂しい。テレビやラジオの組み立てと人の扱いは違うので、あと何年で日本がどうなる…とはいえない。でも、ここで下を向いていても成長はない。自分たちのクオリティを高めようという意識を持ち続けていってほしい。


■ジーコ

本名はアルトゥール・アントゥネス・コインブラ。「ジーコ」はポルトガル語の愛称「やせっぽち」。1953年3月3日、ブラジル・リオデジャネイロ生まれ、53歳。67年ブラジルの名門フラメンゴ入団。晩年はセリエA・ウディネーゼでもプレー。89年に引退も91年に住友金属(現鹿島)で復帰。Jリーグは初年度の93年から参加し、94年第1ステージ終了後に現役引退した。代表通算89試合66得点。W杯には78、82、86年に出場して14試合5得点。J通算23試合14得点。02年7月に日本代表監督に就任。

■ジーコ監督の今後の去就

日本代表監督を退任するジーコ監督は「私のキャリアは続いていく。欧州に行くかもしれない。サッカーの監督として続けていく」と明言した。日本サッカー協会・川淵キャプテンからの要請でアドバイザーとして日本代表との関係は継続するが、これまで希望を明かしていた通り、欧州クラブの監督に就任することになりそうだ。現役時代を過ごしたウディネーゼと同じイタリア・セリエAのクラブが有力。「W杯出場という成果はあげた。日本で始まった監督のキャリアを積み上げていきたい」と今後を語った。

★中田英との師弟関係は続行

ジーコ監督は4年間ずっとMF中田英に絶大な信頼を寄せてきた。「彼はこのW杯を成功させようと尽くしてくれた。彼と仕事ができたのは光栄だった」と大賛辞を贈った。今後はイタリアなどを中心にオファーが殺到する欧州クラブで監督業を続ける同監督。「プロとして、大切な友人として、これからもつきあっていく」と新天地に中田英を呼び寄せるかのような言葉まで飛びだした。

★凱旋イベント中止か

今回の1次リーグ惨敗劇で、ジーコ監督の凱旋イベントが中止になる可能性が出てきた。当初は7月15日のオールスターで、開催地がなじみのカシマスタジアムということから、同監督の報告会が予定されていた。「この状況ですから、様子を見ていかないといけませんね。難しいかもしれません」と関係者。現状では企画倒れに終わりそうだ。