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ブンデスリーガの“レジェンド”奥寺康彦氏が語る、自身のキャリアとドイツサッカーの変遷

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ブンデスリーガの“レジェンド”奥寺康彦氏が語る、自身のキャリアとドイツサッカーの変遷  ■進化し続けるブンデスリーガ

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 --奥寺さんは1977年から86年まで、約10年間ブンデスリーガでプレーしました。現在のブンデスリーガについてはどのように見ていますか?

 「すごいなあと感心してしまうのは、やっぱりお客さんの数ですね。どのスタジアムも、いつも超満員。ドイツには『ここならサッカーを楽しめる』と思えるスタジアムがたくさんあるから、それも観客動員につながる要因のひとつである気がします。2000年のユーロ(ヨーロッパ選手権)、グループリーグで敗退した頃のドイツサッカー界はどん底でした。しかし、そこから2006年のドイツ・ワールドカップに向けて改革の意識を強め、徐々に“統一ドイツ”としての気運も高まっていった。加えて、若く有望な選手も台頭し始めましたよね。そのあたりから、一気に変わった気がします」

 --2014年にはブラジルW杯を制し、1990年以来24年ぶりに世界王座に君臨しました。

 「長いスパンで大きな目標を掲げ、それに向かって着実に変わっていこうとする。やっぱり、“いざ”という時の結束力はすごいですね。そのあたりが、なんとなくドイツ人らしいなと(笑)」

 --以来、世界トップレベルの地位も確立されつつあります。

 「育成の成功が大きいと思います。強いチームを底上げする若手が次々に出てくることによって、ファンは『観てみたい』と思う。個人的には、レバークーゼンのMFユリアン・ブラント、ライプツィヒのFWティモ・ベルナー、バイエルンのDFヨシュア・キミッヒなどに注目しています。チームとしてはライプツィヒ。それこそ若い選手が多くて、躍動感がある。旧東ドイツのチームの躍進は、とてもセンセーショナルでした」

 --改めて考えてみると、奥寺さんが初めてドイツに渡った1977年当時と比較して、ブンデスリーガは素晴らしい発展を遂げた気がします。

 「サッカーを観る人の“熱気”はほとんど変わらないと思うのですが、当然、サッカーの内容もスタジアムの機能性も大きく変化しました。当時と比較すると、昔はもう少し、お客さんたちの勝敗へのこだわりが強かった気がします。すごく極端なんですよ。勝てばお客さんが増えて、負ければお客さんが減る。当時、ファンに直接聞いたことがあるんです。そうしたら、『負ける試合、相手のサポーターが喜ぶ姿は観たくないんだ』と(笑)」

 --ちなみに、現役時代の奥寺さんが好きだったスタジアムは?

 「当時はまだ陸上競技場が多かったのですが、やはりサッカー専用スタジアムでプレーする時は興奮しましたね。例えば、ハンブルクのフォルクスパルクシュタディオンやドルトムントのヴェストファーレンシュタディオン(現ジグナル・イドゥナ・パルク)。アウェイの試合だといろんな声が飛んでくるから、イヤな思いをすることもありましたけど」

 --奥寺さんは主にサイドでプレーしていたこともあって……。

 ホントにそうなんですよ。野次もすごかったんだから(笑)。

 ■日本人選手が目指さなければならない“次の段階”

 --奥寺さんはケルンに在籍した1977-78シーズンにリーグ戦制覇とカップ戦制覇の2冠に貢献しました。どのようにして自身の評価を高めていったのでしょう?

 「僕をドイツに呼んでくれたヘネス・バイスバイラー監督の存在が大きかったと思います。彼は僕のことを理解してくれていたし、“使い方”を分かってくれていた。ただ、バイスバイラーがチームを離れてからは苦労しました。当時の外国人枠は2つしかなかったので、全く評価されず、いわゆる構想外のような状況になってしまって。だから、2部に所属していたヘルタへの移籍を決断したんです」

 --それでも、1981年にはブレーメンに移籍し、再び1部の舞台で見事な活躍を示しています。

 「これもまた、出会いに恵まれました。オットー・レーハーゲル監督が必要としてくれたことがすべてです。レーハーゲルの下では、いくつものポジションで使われました。『今日はストライカーがいないからFWでプレーしろ』とか、『相手がバイエルンだからルンメニゲのマークにつけ』とか(笑)。当時はマンツーマンでの守備が主流。ただ、僕は相手を2人見るようなゾーンディフェンスができたので、監督は驚いていました。『どこで教わったんだ?』と」

 --とはいえ、当時のブンデスリーガで“外国人選手”として戦うプレッシャーは相当のものだったと思うのですが。

 「最初は『試合に出なきゃいけない』ということだけでした。特に、当時のケルンはヨーロッパの中でも強豪の一角とされたチームで、『俺はあのケルンの一員にならなければいけんないんだ』という気持ちだけで戦っていて。もちろん、大事な試合になれば緊張感は高まります。優勝が懸かった試合になれば、チームの士気が一気に高まる。でも、それをプレッシャーに感じることはありませんでした。ほとんど“無”の状態というのかな。そうなれたのは、『サッカーは1人でやるスポーツじゃない』という考え方を持っていたからだと思うんです。チームとして『絶対に勝つんだ』という思いが、プレッシャーをはねのけてくれる」

 --奥寺さんが初めてドイツに渡ってから40年、ブンデスリーガでプレーする日本人選手は飛躍的に増えました。

 「素晴らしいことですね。ただ、“次の段階”を目指さなければならない時期がきているとも思います。つまり、長谷部誠のように、チームの中心選手としてその存在価値を認められること。最近では、かつて日本人選手に期待された“規律”や“チームプレー”を、他の国の選手も高いレベルで表現できるようになってきています。だからこそ、これからは日本人選手らしさで勝負するのではなく、それにプラスアルファする形で“特別な武器”を持たなければならない」

 --黒子に徹したチームプレーではなく、個人としての結果を残さなければ生き残れない。

 「そう思います。出身がどこの国であろうと、選手一人ひとりに求められているのは“結果”ですから。『いいヤツだな』で終わってはいけない。例えば、香川真司のような選手は、少し前のブンデスリーガには多くありませんでした。でも、今は似たタイプの選手がたくさんいますよね。その競争に勝たなければならない」

 --これから海外でのプレーを目指す若い選手たちにも、それなりの準備が必要と言えるかもしれません。

 「もちろん、積極的にチャレンジすることは大切です。海外でしか学べないこともたくさんあるから、チャレンジすることは大賛成。しかしその反面、日本でオリジナリティのある武器を磨き、ある程度の実績を作ることも必要だと思うんです。ただ“体験しに行く”だけでは意味がない。だからこそ、Jリーグで戦う時間を大切にしてほしい。

 ■サッカーに対する、心の底からの欲を持ってほしい

 --まさにそうした意味を込めて、今年からJリーグ23歳以下の若手選手の“実績”となり得る「TAG Heuer YOUNG GUNS AWARD」がスタートしています。

 「素晴らしいと思います。若手選手たちにとって、大きなモチベーションになるはずですから。やはり、『何のためにサッカーをやっているのか』を考えなければいけないと思うんです。もちろん、お金のためでもあり、名誉のためでもあるかもしれない。そして、その根底には自分自身の価値を高めたいという思いを持つべきだと僕は思う。だからこそ、客観的な眼によって評価され、それを表彰される機会があることは選手にとって大きなチャンスであると考えています」

 --一般投票による選考があることを考えると、ファンやサポーターの“見方”も変わりそうですね。

 「間違いないでしょうね。個人的には、“派手”な結果を残す選手ばかりでなく、黒子に徹してチームを支えるような選手にも目を向けてほしい。また、対象となるのがJ1、J2、J3に所属する選手となると、ファンにとっては“見つける楽しみ”も増えますよね。もちろんJ2以下の選手たちにとっては、“這い上がるチャンス”でもある。そう考えると、誰にとってもポジティブな刺激の多い賞になる気がしています」

 --ちなみに、奥寺さんが23歳だった頃は……。

 「僕? それがねえ、良かったのよ(笑)。腰のケガが治って、ブラジルに2カ月間留学したんです。古河電工のコーチだった宮本征勝さんと2人で。たったの2カ月間で、めちゃくちゃ成長できたことが自分でも分かりました。ヘタだったボール扱いの技術が、知らぬ間に身についてしまって。サッカー選手としての意識も大きく変わったから、僕にとっては大きなターニングポイントになりましたね」

 --では最後に、まさにその年代の若手選手たちにメッセージをお願いします。

 「とにかく欲を持ってほしい。サッカーに対する、心の底からの欲を。本当の意味での高みに到達するまで、自分自身で『俺は努力している』なんて言っちゃダメよ。『まだまだ』と言い続けて、成長し続ける。誰にも負けないストロングポイントを磨き続ける。そういう“欲”がなければ、みんなに認めてもらえる選手にはなれないと思うから」

 文=細江克弥

 写真=浦正弘

【Profile】奥寺康彦

1952年3月12日生まれ。 1970年代、世界最高峰のリーグと言われたドイツのブンデスリーガで初めてプレーした日本人。3つのクラブ(1.FCケルン、ヘルタ、ヴェルダー・ブレーメン)を渡り歩き、9年間プレーを続け各クラブでレギュラーとして実績を残す。現役を引退後は古河電工(ジェフユナイテッド市原・千葉の前身)のゼネラルマネージャーに就任し、監督も務めた。2012年に日本サッカー殿堂入り、2014年にはAFC(アジアサッカー連盟)の初代殿堂入りも果たしている。

 【TAG Heuer YOUNG GUNS AWARD】

 Jリーグの次世代を担う若い選手層の育成・Jリーグの発展を目的に、各メディア・著名人など、本企画に賛同するアワード サポーターが、J1、J2、J3のクラブに登録されているU-23選手の中から候補者30名を選出。その後、一般投票を含む最終選考にて11名を選抜、2017年12月に表彰する。

 詳しくは こちら から

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