W杯メンバー当確いただき!“新戦力”倉田が出場5分で代表初ゴール - SANSPO.COM(サンスポ)

試合
速報

W杯メンバー当確いただき!“新戦力”倉田が出場5分で代表初ゴール

更新

大事なアピールの場で代表初ゴールを決めた倉田。腕には雨に濡れた芝がへばりついた(撮影・中井誠)  キリン・チャレンジ杯(6日、日本2-1ニュージーランド、豊田ス)お見事、ダイビングヘッド弾!! 国際連盟(FIFA)ランキング40位の日本が同113位のニュージーランドに2-1で辛勝した。1-1の後半42分にA代表出場5試合目となった“新戦力”MF倉田秋(28)=G大阪=が、代表初ゴールとなる決勝弾で存在を強烈にアピール。来年のW杯ロシア大会のメンバー入りを“当確”にした。

<< 下に続く >>

 腕に芝がへばりつく。雨が浮くピッチに体を投げ出したのは、28歳の苦労人だ。MF倉田が終了間際に代表初ゴールとなる決勝弾。W杯メンバー入りに向けて始まったサバイバルレースで、一歩抜け出した。

 「やっぱり特別ですね。気持ちよかったです」

 1-1の後半37分に途中出場。同42分、FW乾の左クロスをDF酒井宏が頭で折り返すと、低いボールをダイビングしながら頭で押し込んだ。「気持ちで押し込むだけでした。出たら絶対にやってやろうと思った」。GKとの衝突もいとわず、右顔面をはらして帰りは氷嚢(ひょうのう)を片手に取材ゾーンに登場。それでも終始笑顔だった。

 A代表5試合目にして奪った記念のゴール。「今のところは(人生で)1番かな」。少しだけ感傷的になった。G大阪ユース出身でJ1にも10代でデビュー。将来を期待されたが、遠藤らが居並ぶ黄金期のG大阪で定位置をつかめず、千葉やC大阪へ移籍した。攻撃センスが売りの技巧派は、J2も経験しながら走り続け、戦うMFへと成長。「サッカー人生で満足したことはない。ゴールを決めても安心していない」との言葉にも苦難の道がにじむ。国内組だけだった一昨年の東アジア杯に26歳で初招集され、今年3月にW杯予選を初経験。クラブの先輩でもある遠藤の代名詞、背番号7を背負い、合宿地のUAEでは激励メールももらった。

 個人にとっても縁起のいい一発だ。過去4度(日韓大会を除く)のアジア最終予選で、W杯出場決定から初めて迎える強化試合でゴールを決めた選手は、9人全員が本大会のメンバー入りを果たしている。「自分にもW杯の可能性はある。その舞台に立ちたい。負けてられへん」。夢が、手の届くところまできている。倉田のゴール時に派手なガッツポーズをみせたハリルホジッチ監督も「先制後、おかしなことに主導権を渡してしまったが、素晴らしいプレーから2点目が生まれた」とご満悦だ。

 W杯出場がかかった8月はメンバー落ち。豪州戦は自宅でテレビ観戦し、同僚MF井手口のブレークを目の当たりにした。「(井手口)陽介が決めてうれしかったけど、負けたくない気持ちも強くなった」。秋と書いて「しゅう」と呼ぶ名前のとおり、この夜の一撃を実りの秋につなげる。 (大石豊佳)

★2000円で人生変わった

 倉田のサッカー人生を決めたのは、2000円だった。

 「ガンバに入れるとは思っていなかったですよ。(セレクション代)2000円を払って、経験やと思ってね」

 父・穣さん(60)が述懐する。中学でG大阪のジュニアユースを受験。倉田のたっての希望に母・尚子さん(58)とともに背中を押した。

 サッカーとの出会いは幼稚園。友達と園庭でボールを蹴るのが大好きだった。その幼稚園は「公文式」で知られる学校法人公文学園が経営。勉強では幼児のうちに中学レベルにもチャレンジできるほどだったという。「おかげで中学まではその貯金でなんとかできたみたい」と尚子さんは笑う。

 『秋』で『しゅう』という名前は、「そのまま秋が好きだったし、生まれたのも秋だったから」(尚子さん)。秋に決めた代表初ゴールは、最高の恩返しになった。

倉田 秋(くらた・しゅう)

 1988(昭和63)年11月26日生まれ、28歳。大阪・高槻市出身。幼稚園でサッカーを始める。中学でG大阪の下部組織に所属し、高校3年時には主将で日本クラブユース選手権制覇。2007年にトップチーム昇格。10年にJ2千葉へ移籍し、11年C大阪。12年にG大阪復帰。各年代の代表に選出され、15年東アジア杯・韓国戦でA代表デビュー。J1今季28試合8得点。同通算209試合38得点。代表通算5試合1得点。1メートル72、68キロ。

試合結果へ代表日程へ代表メンバーへ

今、あなたにオススメ

ランキング

PR