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【二十歳のころ 吉田義人氏(3)】宿沢監督「絶対勝てる」信じて大金星

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 選手として思い出に残る試合は雪の早明戦(1987年12月)、世界選抜戦(92年4月)などたくさんある。中でも、ちょうど二十歳だった89年5月の日本代表とスコットランドの戦いは特別だ。

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 僕は代表3試合目。当時の宿沢広朗監督にとっては初采配の試合だった。早大ラグビー部で名をはせ、住友銀行に勤めて金融の第一線で働きながら日本代表の監督にもなった、異色の存在だった。

 宿沢監督は強豪との一戦を前に、「絶対に勝てる」と断言していた。世界的にみると当時の日本はラグビーの弱小国で、周りからは「そんなに簡単じゃない」「強がり」などと言われていた。でも僕は「監督の言う通りだ」と感じていた。

 宿沢監督は就任後、メンバーをガラッと代えた。それ以前は伝統校から多くの選手が選ばれていたけど、宿沢監督は知名度より実力を重視した。まさに適材適所だった。僕自身についても、何を必要とされているかが明確になった。要はトライを取ってくれということだけだった。

 実は当時、左足を故障して試合前の1週間は練習後、治療に通っていた。メンバー決定前に宿沢監督から、ただ一言「大丈夫か」と声をかけられた。僕は「選ばれれば100%の力でやります」と答えたけど、万全ではないことは監督も分かっていたはずだ。

 自分自身は「選ばれないな」と思っていた。でも試合2日前のメンバー発表で、宿沢監督は僕を選んでくれた。会話はあまりなかったと思うけど、監督の期待は十分に伝わった。

 それに応えようという思いで、迷いも不安もなく戦えた。ボールを持ったらとにかく一歩でも前に出て、チャンスがあればトライを狙った。それが前半18分の自分のトライにつながった。そして28-24で大金星を挙げることができた。

 宿沢監督から学んだのは、常に国際感覚を持つということ。当時の僕らが海外強豪国の試合を見ることができたのは、W杯以外はせいぜい年1試合程度だった。でも宿沢監督は銀行のロンドン支店に赴任していたころ、代表戦からクラブの試合まで幅広く観戦して知識を蓄積していた。

 その豊富な知識を基に「相手はこう戦ってくる」と話せば、選手全員が迷わず信じることができ、ベクトルが一緒になった。国際的な視点に立って、どれだけ確信を持って指導できるかということの大切さ、情報の重要さを学んだ。

 あのころ僕は本気で「世界でナンバーワンプレーヤーになりたい」と思っていたし、常に世界をターゲットにしていた。宿沢ジャパンでの経験は、その後の僕の海外挑戦や指導者としての姿勢に大きな影響を与えてくれた。 (あすに続く)

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