北川貞二郎氏が死去…94歳 サンケイスポーツ新聞社元社長、産経新聞社元副会長 - SANSPO.COM(サンスポ)

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北川貞二郎氏が死去…94歳 サンケイスポーツ新聞社元社長、産経新聞社元副会長

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 サンケイスポーツ新聞社元社長で、産経新聞社元副会長の北川貞二郎(きたがわ・ていじろう)氏が9日、千葉県八千代市の病院で肺炎のため死去した。94歳だった。通夜は10日午後6時、葬儀・告別式は11日午後1時から同市萱田町593の10、ファミーユ八千代市役所前で。喪主は長男、惠(さとし)氏。

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 早大卒。1950年に産経新聞社入社。運動部長、サンケイスポーツ新聞社社長などを経て、87年に産経新聞社取締役副会長に就任。フジテレビジョン常勤監査役も務めた。

 北川氏は、相撲では“伝説”の記者でもあった。栃錦、初代若乃花の栃若全盛時代で当時は手さばきを書くのが主だったが、初めて支度部屋で取材し出番前の力士の表情や取り組み後の肉声を入れ「熱戦一番」のタイトルで多角的なサイド記事を書いた先駆者だった。

 早大時代はボート部で五輪を目指していた。サンスポ運動部長で迎えた64年の東京五輪の開会式では、「生きていてよかった」の見出しで、学徒兵選手OBとしてサンスポ1面に書いた万感の一文が多くの読者の胸を打った。

現役引退後、当時運動部長の北川氏から評論家として指導を受けた元ヤクルトと西武監督の広岡達朗氏「今の私があるのは、北川さんのおかげ。評論家として一番言いたいことを書く、『一点しぼり』という原稿の基本を教えてもらった。何度も差し替え(書き直し)を指示され、『直された原稿を暗記しろ』としごかれた。この経験が監督になってからも役立った」

2010年に日本サッカー殿堂入り、日本人初のFIFA(国際サッカー連盟)会長賞を受賞した、元大阪サンケイスポーツ編集局長・賀川浩氏 「北川さんは私より1年早く産経新聞社に入社していて、とにかく原稿がうまかった。彼は編集局長、社長としても手腕を発揮した。東京では後発だったサンスポをシェアでトップを争うところまで引き上げたのは、彼の功績が大きい。戦友をまた失った」

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