【甲子園に恋して】太田幸司(下)プロ入りか、大学進学か…家族に取材するため赤いバラ買って青森の実家へ - SANSPO.COM(サンスポ)

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【甲子園に恋して】太田幸司(下)プロ入りか、大学進学か…家族に取材するため赤いバラ買って青森の実家へ

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1969年秋のドラフトで近鉄から1位指名を受けて会見する(左から)母・タマラさん、太田幸司、父・暁さん  1969年夏に準優勝し、大ブームを巻き起こした三沢(青森)・太田幸司君の取材は、甲子園だけでは終わりませんでした。次はプロ入りか、大学進学か、進路が注目されました。

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 高校最後の公式戦となった秋の長崎国体が終わると、会見に日本高野連の佐伯達夫会長が同席し、「報道が過熱しすぎないように」と注文をつけたほどです。

 太田君が進路について口を開くことは、ありませんでした。大学のセレクションも受けていましたし、本当に迷っていたようです。ならば、関係者を取材するしかありません。赤いバラを10本ほど買って、三沢市の実家を訪ねました。

 太田君にとって、三沢基地勤務の父・暁(さとる)さんは〝口やかましいおやじ〟だったようですが、私には〝優しいお父さん〟。母・タマラさんからも「実はコーちゃん(幸司氏の愛称)がね…」と、いろいろな話をうかがいました。残念ながら、11月のドラフトで近鉄から1位指名を受けた太田君がプロ入りを決断したことはスクープできませんでしたが…。

 翌年は岩手国体を取材したついでに三沢市まで足を伸ばし、ご両親と3人で十和田湖へ旅行しました。ちょうど紅葉の時期でした。数年後に太田君が近鉄の本拠地、藤井寺球場に近い羽曳野(はびきの)市に家を建て、ご両親を三沢から呼び寄せてからも、ご両親との親交は続きました。

名取 和美(なとり・かずみ)

 埼玉県出身。慶大卒。1965年に産経新聞社に入社し、69年からアマチュア野球担当。87年にサンケイスポーツへ異動。計25年間にわたって甲子園大会で取材を続けた。96年に退社後も、OGとして球場に足を運ぶ。

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