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【甲子園に恋して】江川卓(下)チームで孤立…かわいそうだった

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銚子商戦の延長十二回にサヨナラの押し出し四球を与えた江川(右)。「怪物」は2回戦で甲子園を去った  「怪物」と呼ばれた作新学院(栃木)の江川卓君には、「怪物」ならではのつらさがあったと思います。

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 試合後の取材は、どうしても江川君に集中します。チームが乗るバスを待たせているときなど、「もう(取材は終了で)いいですか」とチームメートに気を使っていました。しかし、大人びた性格もあって、子供たちの中に大人が1人だけ交じっているような感じ。練習が終わった後に「江川に水を飲ませるな。(来る前に)みんなで飲んじゃえ」と、意地悪される光景を目にしたこともあります。チームで孤立しているようで、かわいそうでした。

 初の甲子園出場となった1973年のセンバツは、1回戦から準々決勝まで3試合連続で完封。広島商との準決勝は五回に初失点すると、八回のピンチに捕手の悪送球で勝ち越しを許し、被安打2で敗退しました。

 同年夏の第55回大会も優勝候補として登場。銚子商(千葉)との2回戦は、雨の中での戦いになりました。そして、0-0で迎えた延長十二回一死満塁から押し出し四球で敗戦。悔しかったはずですが、試合後も淡々とした話しぶりは相変わらずで、涙がこぼれることはありませんでした。

 私は最後を「泣けない江川はあわれだった」と締めた原稿を会社に送りました。デスクに「あわれ」を「気の毒」と直されたのを覚えています。

名取 和美(なとり・かずみ)

 埼玉県出身。慶大卒。1965年に産経新聞社に入社し、69年からアマチュア野球担当。87年にサンケイスポーツへ異動。計25年間にわたって甲子園大会で取材を続けた。96年に退社後も、OGとして球場に足を運ぶ。現在は野球殿堂特別表彰委員会委員、全国野球振興会理事。

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