2017.7.5 12:00

【ラグビーコラム】ツイドラキ、亡き父はトヨタ自動車で活躍したWTB 活躍の場を日本に求め同じチームに

【ラグビーコラム】

ツイドラキ、亡き父はトヨタ自動車で活躍したWTB 活躍の場を日本に求め同じチームに

特集:
ノーサイドの精神
トヨタ自動車入りしたバティリアイ・ツイドラキ

トヨタ自動車入りしたバティリアイ・ツイドラキ【拡大】

 【ノーサイドの精神】7人制日本代表候補のセブンズ・ディベロップメント・スコッド(SDS)が優勝した7月2日のジャパンセブンズで、準優勝したトヨタ自動車の一員として5試合で5トライと存在感を示したのが、今季加入したフィジー生まれのバティリアイ・ツイドラキ(22)。その名を聞けば懐かしむファンの方もいるだろう。

 父もトヨタ自動車で活躍。フィジー代表キャップ6、日本代表として1999年W杯にWTBで出場して19キャップ、「パット」の愛称で日本のファンにも愛されたパティリアイ・ツイドラキ氏だ。祖国フィジーで自動車関連の事業をしていた2002年9月、突然、急性心不全で死去。33歳での急逝の悲報は日本にも駆け巡った。

 「僕は夜寝て、朝起きたら、お父さんが亡くなったと聞きました」

 バティリアイはよどみない日本語で、そのときのことを話した。バティリアイが生まれた直後の95年、父はトヨタ自動車初の外国人選手として来日。7歳まで愛知・豊田市で過ごした。「日本語はだいぶ忘れました」と照れるが、どうしてどうして、会話に不自由することはない。

 父の後を追うように、ニュージーランド・オークランドでカレッジに入学。CTBとしてU-20フィジー代表に選ばれ、主将にもなった。そこから豪州に渡り、スーパーラグビー・ブランビーズの育成チームにも入った。活躍の場を日本に求め、父と同じチームに入ったのは必然だったのだろう。「父親のプレッシャーはありますけど、楽しみ」と人懐っこい笑顔をのぞかせた。

 PatiliaiとVatiliai。父と1文字しか違わないファーストネーム。何かゆかりがあるのかと尋ねたら、「おじいちゃんの名前をもらった。フィジーの伝統です」。穏やかに、誠実に答える姿は、試合中の激しさとは全く対照的だった。

 今季からトヨタ自動車を率いるのは、2007年W杯で祖国南アフリカを優勝に導いたジェイク・ホワイト氏(54)。世界的名将のもと、チーム初のトップリーグ制覇へ、この好青年もきっと大きな役割を果たすに違いない。

田中 浩(たなか・ひろし)

「田中 浩」イメージ画像1983年入社。ラグビーブーム全盛期に担当を約10年、その後デジタルメディア、ボクシング担当、アマ野球担当などを経て2008年から運動部一般スポーツ担当デスクを務め、14年秋に二十数年ぶりにラグビー取材の現場に復帰した。秩父宮ラグビー場でトライ(高校都大会決勝)と東京ドームでヒット(スポーツ紙対抗野球)の両方を経験したのがプチ自慢の56歳。

今、あなたにオススメ
Recommended by
  1. サンスポ
  2. ラグビー
  3. トップリーグ
  4. 【ラグビーコラム】ツイドラキ、亡き父はトヨタ自動車で活躍したWTB 活躍の場を日本に求め同じチームに