明大96人の思い乗せ雪辱Vトライ

二十歳のころ 吉田義人氏(4)

 明大4年のシーズンは忘れられない1年になった。二十歳のころ、最も長い時間を過ごしたのが明大ラグビー部。主将として、その仲間のありがたさをあらためて学んだ。

 その年は最終的に大学日本一になったけど、秋の関東大学対抗戦は失意のまま終えた。伝統の早明戦は両校にとって最も重要な試合。他のチームに負けても、早大に負けるのは許されないという位置づけだった。試合は明大リードで終盤を迎えたけど、ラストワンプレーに悪夢が待っていた。

 実は、僕は試合中に左ふくらはぎを肉離れしていた。終了間際のキックオフを高く上げるつもりが、軸足が踏ん張れなくて相手にドンピシャでキャッチされ、早大の今泉(清、FB)に70メートル走られた。足が動かないから追いつくことができなかった。トライ、ゴールを決められて24-24でノーサイドとなった。

 痛恨だったね。明大にとっては負けに等しかった。試合の夜、同じ4年生たちの前で謝った。「最後の早明戦の勝利を味わわせてやれなかったのは俺の責任だ」と。張り詰めていたものが一気に崩れ、泣きじゃくった。

 すると「お前だけが泣くな。お前だけの責任じゃない。もう一度大学選手権で早大と戦って、やっつけようぜ!」といってくれた。それからだった。チームの雰囲気がガラッと変わったのは。

 みんな率先して練習して、4年生全員が本当のリーダーになってくれた。早明戦も試合直後は悔しかったけど、あのシーズンの早大は相当強いチームだった。冷静に考えると、終盤まで勝ちゲームができたことも大きな自信になったんだ。

 だから大学選手権での不安は全くなかった。決勝の相手として「ワセダ来い、ワセダ来い」とずっと願っていた。念願かなって早大と決勝で対戦して、後半26分の僕のトライが決勝点となって16-13で勝つことができた。でき過ぎだよね。あのときは、部員96人が取らせてくれたトライだと感じた。本当にありがたい仲間たちと出会うことができた。

 明大の北島忠治監督との出会いも、僕の人生にとって大きな出来事だった。入学直後から1軍で使ってもらったが、代表の合宿や海外遠征があると必ず行かせてくれた。チームを犠牲にしても、国際経験を身につけさせようとしたのだろう。教え子の成長を第一に考えてくれる、大きな人だった。

 二十歳のころを振り返ると、さまざまな出会いが僕を成長させてくれたといえる。明大の仲間たち、日本代表の宿沢広朗監督、恩師の北島監督…。いま二十歳のころを迎えている若い人たちにも、多くの出会いをしてほしい。人との出会い、そして大きな夢に挑戦しようとする姿勢が、必ず自分自身を成長させてくれるはずだ。 (おわり)

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