世界目指す転機になったイアンのタックル

二十歳のころ 吉田義人氏(2)

 明大2年だった19歳のとき、日本代表入りして即レギュラーに選ばれた。二十歳のころはラグビー選手として順風満帆だったようにみえるかもしれないけど、実はさまざまな苦い記憶や学びがあった。

 中でも代表デビュー戦となった1988年10月のテストマッチ、オックスフォード大戦は挫折と驚きの試合だった。強豪校で、87年の第1回W杯で主将代行としてオールブラックス(ニュージーランド代表)を優勝に導いたスクラムハーフのデビッド・カークらがいた。僕のトイメン(相対するウイング)はイアン・ウィリアムズだった。

 彼はその後、神戸製鋼に入り、快足を武器に黄金時代を支えた。当時はバリバリの豪州代表だ。そんな相手でも、僕は自信満々だった。すでに7人制代表で国際大会も経験して、スピードには手応えを感じていた。相手の防御ラインの裏でボールをもらったら、絶対トライに持っていけた。

 絶好のトライチャンスが訪れた。フルバックの向井(昭吾、元東芝)先輩の好パスで、僕がイアンをずらして裏に出ることができた。あとはコーナーフラッグめがけて一直線。それまでの僕だったら全部トライにしていたシーンだ。「もらった!」と確信したよ。でも、突然自分の体が崩れて倒れた。

 いまなら日本でも当たり前のプレーだけど、アンクル(足首)タックルだった。体へのタックルが追いつかないとき、選手のかかとを手のひらや拳で払うようにするタックルだ。タックルというより、相手のバランスを崩して転ばせる。当時、日本でこのタックルをできる選手はいなかった。僕もラグビー人生で初めて受けたんだ。

 あれは衝撃だったな。19歳のときに「ああ、これが世界だな」と感じさせられた。試合も12-23で敗れ、自信満々だった自分にまだまだ足りないところがあると分かった。あのタックルのおかげで、絶対に世界を目指そうと決意した。国内だけでは駄目だと。日本代表になってW杯で活躍して、世界選抜に入りたいと本気で思った。

 だから、92年に世界選抜に入ることができたのは感慨深い。その年のニュージーランド協会100周年記念試合でオールブラックスから奪ったトライは、世界のトップに立ちたいという強い思いが後押ししてくれた。その原点が、イアンとの対戦だった。

 イアンとは、その後も敵味方として同じピッチに立った。明大の主将だった90年度の日本選手権で神戸製鋼と戦い、93年のウェールズ遠征では日本代表入りしたイアンと左右のウイングでプレーした。弁護士でもあったイアンは素晴らしい人格者で、代表戦のときは「僕ら2人で、どんどんトライを取りに行こう」と気持ちを高めてくれたことを、今でも覚えている。 (あすに続く)

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