2018.4.11 14:55

【高橋信之コラム】 失われた女性SF作家 ティア・フォン・ハルボウを知っていますか?

【高橋信之コラム】

 失われた女性SF作家 ティア・フォン・ハルボウを知っていますか?

特集:
高橋信之
映画『メトロポリス』の頃のテア・フォン・ハルボウ女史。女優としての演技経験もある美貌の持ち主だった。

映画『メトロポリス』の頃のテア・フォン・ハルボウ女史。女優としての演技経験もある美貌の持ち主だった。【拡大】

 気がつかなかった!  SF小説の歴史の欠けた1ページを。

 フリッツ ・ラング監督の映画『メトロポリス』(1927)の脚本と小説を書いたのは当時、監督の妻だったハルボウ女史でした。

 ぼくは長らくハルボウの小説は映画に連動したノベライズ版だと思い込んでいたんですが、実は映画製作開始(1926~)の前年、1925年からドイツの大衆図解雑誌「ブラット」誌上に掲載されていた連載小説だったそうです。

 ドイツの隣国ルクセンブルクからの移民ヒューゴー・ガーンズバックが米国で世界初のSF雑誌『アメージングストーリーズ』を創刊して米国から世界にSF小説ブームが起こるのが1926年なので、その1年前からハルボウは「100年後の未来」を小説で書いていることになります。

 もちろん書籍としてのSF小説は、ジュール・ベルヌ(仏)、H.G.ウェルズ(英)、カレル・チャペック(チェコ)などが先行していました。

 ハルボウの小説は1925年の雑誌掲載後、1926年にドイツ語版が単行本として刊行され、1927年に英語版が翻訳されています。この英語版出版と映画公開が同じ年だったのを見て「映画連動タイアップ」だと思い込んでおりました。

 ハルボウは続く1928年には多段階式ロケットによる宇宙飛行を描くプロジェクト小説『月世界の女』を書き、これも翌1929年には夫ラング監督により映画化されます。

 調べると『怪人マブゼ博士』もハルボウの原作小説からの映像化で、その他30冊ほどの作品を書いています。

 SF小説の歴史、正史から外されているハルボウ女史、実はすごかったんじゃないのかな。

 その後、ナチズムに傾倒してゆくハルボウ女史とユダヤ人のラング監督は離婚して監督はアメリカに亡命しますが、ハリウッドでは「SF映画」らしきものは、さっぱり撮っていません。

 ラング監督、もともとSFは趣味じゃなかったのかもしれませんね。

 戦後のハルボウ女史は、戦時下におけるナチへの協力の咎を受けて起訴され数年間の法廷係争や拘束ののち、ふたたび作家活動を再開します。

 ハリウッドで活動するラング監督との交流も復活して『失われた都市への旅』(1962)などの企画も始まりますが、1954年に交通事故で亡くなりました。

 かつて1921年に脚本を執筆したサイレント映画のリバイバル上映会の帰路のことだったそうです。

 ハルボウ女史の活躍、1920年代に「ひとの姿に変身する機械人間」「多段階式ロケットによる月旅行」を小説で創作した慧眼は、後の映画の評価の輝きにまぎれてしまい、正当な評価を受けていないように思います。

 日本で刊行されている「SF作家と年表」にハルボウ女史が紹介されているものは、皆無です。いま、SF小説のレジェンドのひとりとして再評価すべき作家だと今頃気がついたのでした。

高橋 信之

「高橋 信之」イメージ画像スタジオ・ハードデラックス株式会社 代表取締役 東京国際アニメフェア実行委員 日本アニメーター・演出協会 応援団長 アニメ記者クラブ/アニメプレスセンター 起案者・理事「出版や広告、商品開発、映像メディアで活動するプロデューサー/プランナー。アニメ、SF映画、ビデオゲーム、玩具、デジタルデバイスなどを得意分野とし、多くの雑誌編集者やデザイナー、映画監督と交流する。

  • ドイツ語小説版『メトロポリス』(1926)で、表紙のROMANとは、小説のことだそうです。
  • ハルボウの小説『メトロポリス』が連載された頃のドイツの図説雑誌「ブラット」、写真製版技術が発明され、写真が掲載されていた。
  • フランス語版映画公開時の宣伝ポスター。
  • ドイツ語版の翌年に英国と米国で翻訳刊行された英語版『メトロポリス』、カバーに「ヨーロッパで大評判」とセールスキャッチがつく。
  • アメリカでの公開時の劇場版ロビーカード。これから公開される新作の予告のために劇場ロビーに展示された。黒人が支える台座から妖艶な偽マリアが登場する。
  • 世界初のSF雑誌「アメージングストーリーズ」は、ハルボウの『メトロポリス』の連載の後に創刊。
  • ドイツ語小説版『月世界の女』は、1928年に刊行、これを原作としてラング監督は映画化を行った。
  • ドイツ語小説版『月世界の女』は、1928年に刊行、これを原作としてラング監督は映画化を行った。
  • 米国に亡命していた元夫のラング監督とハルボウ女史とは旧交を温め、新しい企画を練った。ハルボウ女史が事故死した後にラング監督は企画を完成させた。これが秘境冒険映画『失われた都市への旅』(1962)だった。
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