2008年04月17日 更新

ジャッキー・ロビンソン・デー実施 蘇った背番号「42」

レイズはチーム全員が背番号42をつけてプレーした(撮影・原田史郎)

レイズはチーム全員が背番号42をつけてプレーした(撮影・原田史郎)

 【ロサンゼルス15日(日本時間16日)】米大リーグ各球団は15日、「ジャッキー・ロビンソン・デー」を実施した。「人種の壁」を破った黒人初の大リーガーは61年前の4月15日にドジャースでデビュー。この日のド軍−パイレーツ戦では、両軍の全選手がロビンソンの背番号「42」のユニホームを着用した。

 ロビンソン=写真上(AP)=が黒人大リーガーとしてデビューしてから61年。ドジャースタジアムに背番号「42」がズラリと並んだ。

 「みんなが着けて42番効果があったようだ。チームにも、いいゲームだった。ロビンソンは確かな足跡を残したと思う」

 背番号「6」ではなく「42」を着用し、11−2で大勝したド軍のジョー・トーリ監督(67)も会心の笑みだ。大リーグでは、この2球団を含む9球団で全選手、残りの球団を合わせると330人以上が「42」のユニホームでプレーした。

 中でもロビンソンの古巣・ド軍は特別。14歳以下のファンには背番号「42」のTシャツが配られ、セレモニーでは現役時代のプレーが流された。始球式にはめいのキャシー・ロビンソン・ヤングさんが登場。試合前の国歌は、昨年グラミー賞を受賞したチャカ・カーンが斉唱した。

 トーリ監督は7歳のとき、ロビンソンと対面し、握手をした思い出がある。「とても特別な選手だった」。元ブレーブスの兄・フランクの試合を観戦した際、白人用と黒人用に隔てられている水飲み場を見て人種差別の存在を知ったという。

 「カージナルス監督時代は、メンバー表を書くと『きょうは白人がいない』といわれたこともあった」と同監督。61年の歳月が流れ、人種問題を気にせずに試合ができる喜びをかみしめていた。


■ジャッキー・ロビンソン (Jackie Robinson)

 1919年1月31日、米ジョージア州生まれ。45年にブルックリン・ドジャース入団。47年に有色人種として初めてメジャーデビュー。同年から新設された新人王を受賞した。49年には首位打者、盗塁王を獲得し、MVP。通算成績は10年間で1382試合に出場、打率.311、137本塁打、734打点。引退後は黒人の公民権運動に影響を与え、62年に野球殿堂入り、72年に53歳で死去。デビュー50周年の97年に全球団で背番号「42」が永久欠番となった。1メートル80、92キロ。右投げ右打ち。