2008年03月27日 更新

桑田、引退!プロ23年目の決断…自らユニホームを脱ぐ

現役にこだわり続けていた桑田がついに引退を決意した(撮影・斎藤浩一)

現役にこだわり続けていた桑田がついに引退を決意した(撮影・斎藤浩一)

 【ニューヨーク支局25日(日本時間26日)】パイレーツ・桑田真澄投手(39)が現役を引退することになった。数日前にニール・ハンティントンGM(39)から若手優先のチーム作りの方針を伝えられ、4月1日の40歳の誕生日を目前に決断した。不惑のメジャーリーガーは夢に終わった。

 奇跡は起こせなかった。練習試合、オープン戦6試合で1失点しか許さなかった桑田だが、夢の開幕メジャーは勝ち取れなかった。

 「ボクにできることはベストを尽くすことだけです。あとは上が決めることですから」

 オープン戦最終週まで生き残った桑田を阻んだのは、15年連続で負け越しているパ軍の若返りの方針だった。今季はハンティントンGMやジョン・ラッセル監督(47)など首脳陣が一新。若手有望株を集めて再建に着手していた。

 同GMは昨オフ、2度目のマイナー契約を交わした際に「若手に手本を示してほしい」と桑田に通達。“キャンプ中のコーチ役”も含めたオファーだと説明していた。18日のレッズ戦に登板した後は、選手の最終的な絞り込みに入ったこともありマウンドに上がることさえできなかった。数日前に同GMと話し合い「若い選手にチャンスを与えたい」という方針を伝えられていた。

 パ軍はこの日、ブレーブスから中継ぎ右腕のタイラー・イエテス投手(30)を交換トレードで獲得。韓国出身の金炳賢(29)ら2投手が戦力外、ジャレット・ライト投手(32)がマイナー落ちを通告される中、桑田は自らユニホームを脱ぐ決断を下した。パ軍若手投手陣に与えた影響力からも指導力は折り紙付き。今後は、後進の育成が期待される。

★桑田に聞く

 引退を決断した桑田はTBS系「筑紫哲也NEWS23」のインタビューに答えた。

−−引退を決意した理由は

 「メジャーへ残れなかったということで、ここで引退しようかなと」

−−マイナーでのプレーは考えないのか

 「マイナーっていうのは若い選手がメジャーを目指して、夢を追って戦う場所」

−−今の心境は

 「メジャーで投げるチャンスはないといわれた。(ハンティントン)GMから。若い選手にチャンスを与えたいと。野球の神様からのお告げ」

−−悔いはないか

 「長くやればいいっていうもんじゃない。気持ちが燃え尽きた。何一つ悔いはないという気持ちになれた」

−−40歳までプレーしたかった

 「目標をクリアできたら偉いってもんじゃないし、できないからダメではない。200勝も40歳までやるというのも、クリアできないものも何個もある」

−−奥さんにはどう伝えた

 「自分でも納得したんでボールを置くよと。『それでいいの?』とはいわれた」

−−メジャーでの思い出は

 「やっぱりヤンキースタジアムでデビュー戦を飾れたこと。あとは18番をもらえたということはうれしかった」

−−もう投げない

 「もう十分やらせてもらった。これからは野球界の後輩を1人でも多く育てられたらいい」

◆PL学園時代の監督、中村順司氏(現名商大監督)

「現役を辞めるとの連絡はありませんでしたが、彼には高校1年の時から3年間にわたり、いい思い出をたくさん作ってもらった。これからも野球界のために、力になってほしい」

★その時

 桑田夫人の真紀さん(39)は25日の昼に国際電話を受け、夫の決断を聞いた。「本当に決めたの?」という夫人の問いに「決めた」と桑田。その声には悔しさがにじんでいたという。

 1週間前には「(メジャー昇格は)大丈夫かもね。頑張る」と見通しを話していたが、ここへ来て急きょ登板予定が取り消されるなどの状況から思い悩んでいた桑田。支え続けた夫人は「この2カ月間は死ぬ気で頑張っていた。これでダメだといわれたことが背中を押したのでしょう。残念ですが、決めたことは曲げない人。ありがとうと言いたいです」と話した。

■桑田 真澄(くわた・ますみ)

 1968(昭和43)年4月1日、大阪府生まれ、39歳。PL学園高では1年からエースとして5季連続で甲子園に出場、戦後最多の通算20勝をマークし、夏2度優勝。86年ドラフト1位で巨人入団。87年から6年連続で2ケタ勝利。95年に右ひじを手術、97年に復帰し10勝を挙げた。06年11月に巨人を退団し、パイレーツ入団。昨年8月に戦力外となるが、今季もパ軍とマイナー契約を結び、メジャー昇格を目指していた。1メートル76、80キロ。右投げ右打ち。既婚。