2006/05/11(木) MLB公式戦

▼ヤンキース−レッドソックス (ヤンキースタジアム、19:05 日本時間:12日 08:05)
  1 2 3 4 5 6 7 8 9
ボストン・レッドソックス
ニューヨーク・ヤンキース

松井秀 松井秀喜 5番レフト先発出場 [成績]
打数 得点 安打 打点 四球 三振 打率
0 0 0 0 0 0 .261
1回表の守備より退く(左手首骨折のため)
松井秀喜

レッドソックス戦の1回、ロレッタの打球を滑り込みながら捕球しようとしたとき、左腕をひねったヤンキースの松井秀=ヤンキースタジアム(共同)

【投手】
(レ)ウェークフィールド、ティムリン、フォルク、パペルボン−ミラベリ、バリテック
(ヤ)チャコン、プロクター、マイヤーズ、スターツ、ビローン、ファーンズワース、リベラ−ポサダ

【責任投手】
(勝)ウェークフィールド3勝4敗
(S)パペルボン13S
(敗)ビローン1敗

【本塁打】
(レ)
(ヤ)

【戦評】
 松井秀は「5番・左翼」で先発したが、一回守備で左手首を骨折した。連続試合出場は前日(10日)の試合までの日米通算1768で途切れた。
 松井秀は飛球を滑り込みながら捕球しようとして、グラブが芝に引っ掛かった形になり手首を骨折した。12日に手術を受ける。

★野球人生初の戦線離脱−松井秀、長い時間に何を考える

長い時間になるだろう。復帰までの数カ月がただ長い、というのではない。野球尽くしで暮らしてきた松井秀にとって、野球のできない時間がどれほど長く感じられるのか。プロ14年目で、野球人生初の戦線離脱を経験する。

巨人の新人だった1993年の8月22日からすべての試合に出場してきた。それだけでもまれなことだが、松井秀がすごいのは頭の中も野球でいっぱいなのだ。

自分の放った本塁打の状況をすべて言えるのはもちろん「1993年のパ・リーグ(の首位打者)?辻さん(当時西武)でしょ。3割1分9厘とかだったよね。打数がちょっと少なめで」。マニア顔負けの情報が次々と口から出てくる。

出身地、記録、タイトル、球団史、そしてもちろん、それぞれの選手のプレーぶり。「好きなんだよね。暇なときに記録の本とか読んでることがけっこうある」

毎年のようにキャンプで改良に取り組む自分の打撃について「秋に頭の中でイメージはできあがっている」という。バットを握れず、キャッチボールもできない状態で始まるリハビリテーションの期間中、とことん野球を考え続けるに違いない。そこから何を得るだろうか。

松井秀喜

レッドソックス戦の1回、ロレッタの打球を追い滑り込み左手首を骨折したヤンキースの松井秀。痛みをこらえ懸命に送球(左から右へ)=11日、ヤンキースタジアム(共同)

★一番価値ある記録−骨折で途切れた松井秀

野球はいつでも喜びなのだという。だから「野球をしていてつらかったことは」と聞かれると、いつも答えに窮してしまう。「野球をするのをつらいと思ったことはありません。つらいのは野球ができないことでしょう」。松井秀が、巨人の新人だった1993年8月22日から日米で積み重ねてきた連続試合出場は、思いがけない大けがで途切れてしまった。

数字にはほとんどこだわらない。日米を合わせた通算記録にも興味を示さない。だが、試合に出続けることだけは別だ。「唯一つながったものとして考えている。自分の中で価値観としては一番高いもの」と言い切る。

必要とされ続ける。そして必要とされたとき、常にそこに居る。その大切さを松井秀にたたき込んだのは、巨人の長嶋茂雄監督(当時)だった。プロ2年目から1対1でスラッガーを鍛え始めたミスターは、3年目になると20歳の松井秀に「おまえしかいない」「全部出続けろ」と声を掛けた。

走るのもおぼつかないほどの左ひざ痛や右脇腹痛でも起用され続けた。それが厳しさでも優しさでもあると感じ、全力でプレーしてきた。だが今回の骨折は、これまで体験したことがない深刻なもの。グラウンド復帰に向けての戦いが始まる。(共同)