米大リーグ、ヤンキースの松井秀喜外野手(33)が新しく生まれ変わったサンスポ・コムのインタビューに応じた。昨年11月に手術をした右ひざの最新状況や、レギュラーを確約されずに迎えた6年目を過ごす上での心構え、まだ成し遂げていない世界一への思いなどを語った。
6年目のシーズンが始まり開幕から約2カ月がたった。昨年11月に受けた右ひざの手術、苦しかったリハビリ生活。オフにわき起こったトレード騒動。試行錯誤の繰り返しだったキャンプとオープン戦。そして電撃結婚。かつてない激動を乗り越え、松井秀の2008年シーズンは始まった。
松井秀 「右ひざの状態はいつも気に掛けています。手術から半年以上たちましたが、いまのところは水がたまったり、腫れたり、痛んだり…というマイナス反応はありません。右ひざを無意識にかばっていると思うので、知らず知らずのうちに体のバランスが悪くなる。古傷の左ひざが心配です。だから試合が終わった後は、両ひざのアイシングをして予防に努めています」
ひざの状態を含めた体調で今季の命運が決まるといっていい。分かっているから、体の手入れは例年以上に熱心に行っている。地元のニューヨーク、遠征地ともに球場へ来るのは、昨年までと比べて1時間以上早くなった。すぐに練習着に着替えて外野の芝生へ直行。全体練習の始まる前にストレッチ、ランニング、ダッシュなどを1人で黙々とこなす。
松井秀 「鉄人なんて呼ばれていたのは、遠い昔のことです。若いときもそんなに無理はきかなかったし、けがもしていた。寝違えもするし、肩も足も痛めていた。ただ、若いときはすぐに回復するのだけれど、いまはそれがない。年齢を重ねるとともに体の回復力が落ちるのです。1人でいろいろと試合前に体を動かすことによって、ひざを含めた最新の体調を確認して、試合に向けた準備をするのです。6月12日で34歳になります。もう、若くないですから」
体調が万全だった昨年までは、必ず試合に出ていた。それが当たり前だった。だが、今年は状況が変わった。基本的には開幕からDH(指名打者)と左翼の併用。さらにジョー・ジラルディ監督(43)は相手投手が右腕か、左腕か、相性がいいか、悪いかでメンバーを頻繁に変更する。定期的に体を休められる利点もあるが、心の張りまで緩むことはないのか。松井秀は首を横に振った。
松井秀 「そんなこと、あるわけないでしょう。選手なら試合に出たいのは当たり前です。でも、チーム事情もある。ボクは何事もプラスに受け止めます。試合に出ようが出まいが、ボクのするべき準備は変わらない。やることをやってゲームで結果を残せばいいだけです。もし、野球に関して悔しいことや辛いことがあったときは、グラウンドでその思いを晴らすだけ。やけ酒をしこたま飲んで打てるなら飲むけれど、ボクの場合はそうならない。一時的に気持ちは晴れるかもしれないが、根本の解決にはならないでしょう。野球をしていてストレスを感じたならば、野球で解消する。それしかないのです」
新婚家庭で仕事の愚痴をこぼすような、ヤボなまねはしない。すべてをグラウンド内で完結させる。唯一、家庭内に持ち込んでいるのは素振り。試合後に反省のあるときは、自宅で気が済むまで振り込む。
松井秀 「打撃で気をつけているのは、常にしっかりと球を見て、自分のタイミングで打つこと。安打は出ていても、自分のスイングで打てていないケースも多い。崩されてしまっているうちはまだまだということ。体調、技術、相手投手との兼ね合いがピタリとはまったときが真の好調な状態。そういう状態へ持っていくために、いろいろ努力をするわけです」
ここまで順調に見えるメジャー6年目のシーズン。松井秀はこの先、どこに焦点を当てていくのだろうか。
松井秀 「自分が打っても、チームが負けたのでは意味がない。打てなくても、チームが勝てばよしとする。とにかく勝ちたい。今年こそ、世界一になってニューヨークをパレードしたいです」
口にするのは個人的目標ではなく、もっと大きな目標…すなわちそれは世界一。チームはア・リーグ東地区で苦戦を強いられているが、松井秀はいままで以上に勝負へ固執し、2008年シーズンを戦い抜く。そのあくなき姿勢が、チームを押し上げていく原動力となる。
松井 秀喜(まつい・ひでき)
1974(昭和49)年6月12日、石川県生まれ。星稜高では甲子園に春1度、夏3度出場。3年時の92年夏の2回戦、明徳義塾戦では5打席連続で敬遠された。93年ドラフト1位で巨人入団。2002年までの10年間でMVP3度、本塁打王3度、打点王3度、首位打者1度などのタイトルを獲得。同年オフにFA宣言し、ヤンキース入団。06年から4年総額5200万ドル(約55億1200万円)で契約更新した。1メートル86、106キロ。右投げ左打ち。背番号55。今年3月に結婚。