18 桑田真澄 -Masumi Kuwata-

ふりがな くわた・ますみ 桑田真澄
所属 ピッツバーグ・パイレーツ(マイナー契約)
守備位置 投手
出身地 大阪府
生年月日 1968年4月1日生
身長 174cm
体重 80kg
血液型 AB型
投打 右投右打
ドラフト 85年1位
甲子園 83夏(優勝)、84春(準優勝)、84夏(準優勝)、85春、85夏(優勝)
年俸
出身校 PL学園高
データ 年度別成績

チーム遍歴
1986-2006 読売ジャイアンツ
2007- ピッツバーグ・パイレーツ
主なタイトル
最優秀選手 1994
最優秀防御率 1987、2002
最多奪三振 1994
ベストナイン 1987
ゴールデングラブ賞 1987、1988、1991、1993、1994、1997、1998、2002
沢村賞 1987

年月日 詳細
1968.04.01 0 大阪府八尾市生まれ。
1983 15 PL学園高校に入学。のちに同期の清原和博(現オリックス)とともに「KKコンビ」と称される。
1983.08.21 15 第65回全国高等学校野球選手権で優勝。準決勝で水野(元巨人)擁する池田相手に完封勝利を挙げるなど活躍。
1984 16 センバツ、選手権ともに準優勝。
1985 17 センバツで4強入り。
1985.08.21 17 第67回全国高等学校野球選手権で優勝。甲子園通算20勝、通算6本塁打はいずれも史上2位の記録。
1985 17 早大への進学を表明していたものの、ドラフト会議で読売ジャイアンツに1位で指名され入団。背番号「18」。
1986.05.25 18 中日戦でプロ初登板。この試合で高校時代のライバル・水野がプロ初勝利を挙げる。
1986.05.28 18 阪神戦でプロ初先発。
1986.06.05 18 阪神戦でプロ初完投、初勝利。
1986 18 一軍で2勝(1敗)を挙げたものの、被本塁打が多く防御率5.14とやや期待はずれのシーズンとなる。
1987.07.08 19 広島戦でプロ初完封。この試合ではプロ第1号本塁打も放ち、10勝に到達する。
1987.07.28 19 オールスター第3戦で、西武・清原と初対決し、ホームランを打たれる。
1987 19 前半戦で2ケタ勝利に到達。最終的に15勝6敗と躍進し、リーグ優勝に大きく貢献する。最優秀防御率のタイトルを獲得し、沢村賞に選出される。ベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
1988 20 10勝にとどまり、勝ち数が負け数(11敗)を下回る。ゴールデングラブ賞を受賞。
1989.10.28 21 近鉄戦で日本シリーズ初勝利。
1989 21 この年藤田元司氏が監督に就任し、三本柱(斎藤、桑田、槙原)が確立。自己最多となる17勝を挙げ、チームの日本一に貢献。
1990 22 1カ月間の謹慎処分を受けたものの14勝。チームもリーグ連覇を果たした。
1991.04.14 23 広島戦でプロ初セーブ。
1991 23 チーム最多となる16勝を挙げる。ゴールデングラブ賞を受賞。
1992 24 なんとか2ケタ勝利を挙げたものの、リーグワーストの14敗と精彩を欠く。
1993 25 この年も15敗。勝ち数は8にとどまり、2年目のシーズンから6年間続いていた2ケタ勝利が途切れる。ゴールデングラブ賞を受賞。
1994.07.06 26 阪神戦で通算100勝を達成。
1994.10.08 26 10・8決戦。桑田は3番手として7回から登板し、3回を投げ中日打線を0点に抑えて胴上げ投手となる。
1994 26 14勝を挙げMVPに選出。最多奪三振のタイトルも獲得した。日本シリーズでも先発、抑えとフル回転し、チームを日本一に導いた。ゴールデングラブ賞を受賞。
1995.05.24 27 阪神戦で小飛球を処理した際に右ひじを強打。当初は重傷とは思われていなかったがこのプレーで「右ひじ側副じん帯」を断裂する。
1995 27 シーズン中の負傷もあり3勝。
1996 28 年初に渡米し、スポーツ外科の権威・ジョーブ博士の執刀でトミー・ジョン手術を受ける。シーズン終盤には復帰もささやかれたが登板はなし。
1997.04.06 29 ヤクルト戦で故障後初めて先発登板し勝利。このシーズンより巨人に移籍した清原とプロ入り後初めてチームメートとしてプレーする。
1997 29 先発ローテーションを1年間守りきり、完投こそなかったものの10勝を挙げる。ゴールデングラブ賞を受賞。
1998 30 先発の柱として活躍。16勝を挙げ「桑田復活」を印象付けた。ゴールデングラブ賞を受賞。
1999 31 開幕から先発ローテーションを守っていたものの、終盤にリリーフを任される。8勝を挙げたものの、この年入団した上原にエースの座を譲る。
2000 32 抑えのエース・槙原が中盤に離脱し、ストッパーに。チームは日本一に輝くが、5勝と物足りないシーズンに。
2001.08.10 33 ヤクルト戦で通算150勝を達成。
2001 33 シーズン前半に二軍落ちを経験。先発、中継ぎ、抑えと起用法が定まらず4勝と3年連続で勝ち星が1ケタにとどまる。
2002 34 この年から監督に就任した原辰徳氏の意向で先発ローテーションに復帰。安定したピッチングを武器に12勝を挙げ、チーム日本一の原動力となる。最優秀防御率のタイトルを獲得。ゴールデングラブ賞を受賞。
2003〜2006   持ち前の安定感にかげりが見え始め、防御率が悪化。2005年には0勝7敗、2006年もわずか3試合の登板で1勝にとどまる。
2006.09.23 38 球団の公式HPにこの年限りでの退団を示唆する文章が掲載される。
2006.12.01 38 コミッショナー事務局から自由契約選手として公示される。
2006.12.18 38 パイレーツとマイナー契約が合意に達する。
2007.03.26 38 ブルージェイズとのオープン戦に登板。三塁にベースカバーに入る際に審判と激突し、右足首のじん帯を損傷。開幕メジャーへの道が閉ざされる。
2007.06.02 39 故障から復帰。3Aの試合に登板。
2007.06.09 39 メジャー昇格。
2007.06.10 39 ヤンキース戦でMLBデビューを果たす。史上3番目のオールドルーキー。巨人時代の同僚・松井秀喜と対戦したが結果は四球。
2007.06.21 39 マリナーズ戦に登板しイチローと対戦。空振り三振に切ってとる。
2007.07.02 39 ブルワーズ戦でメジャー初黒星を喫する。
2007.08.14 39 パイレーツから戦力外通告を受ける。19試合に登板し0勝1敗、防御率9.43の成績だった。
2007.09 39 痛めていた右足首の手術を受ける。
2008.01.08 39 再びパイレーツとマイナー契約を結ぶ。
2008.03.26 39 現役引退を表明