| 年月日 |
齢 |
詳細 |
| 1968.04.01 |
0 |
大阪府八尾市生まれ。 |
| 1983 |
15 |
PL学園高校に入学。のちに同期の清原和博(現オリックス)とともに「KKコンビ」と称される。 |
| 1983.08.21 |
15 |
第65回全国高等学校野球選手権で優勝。準決勝で水野(元巨人)擁する池田相手に完封勝利を挙げるなど活躍。 |
| 1984 |
16 |
センバツ、選手権ともに準優勝。 |
| 1985 |
17 |
センバツで4強入り。 |
| 1985.08.21 |
17 |
第67回全国高等学校野球選手権で優勝。甲子園通算20勝、通算6本塁打はいずれも史上2位の記録。 |
| 1985 |
17 |
早大への進学を表明していたものの、ドラフト会議で読売ジャイアンツに1位で指名され入団。背番号「18」。 |
| 1986.05.25 |
18 |
中日戦でプロ初登板。この試合で高校時代のライバル・水野がプロ初勝利を挙げる。 |
| 1986.05.28 |
18 |
阪神戦でプロ初先発。 |
| 1986.06.05 |
18 |
阪神戦でプロ初完投、初勝利。 |
| 1986 |
18 |
一軍で2勝(1敗)を挙げたものの、被本塁打が多く防御率5.14とやや期待はずれのシーズンとなる。 |
| 1987.07.08 |
19 |
広島戦でプロ初完封。この試合ではプロ第1号本塁打も放ち、10勝に到達する。 |
| 1987.07.28 |
19 |
オールスター第3戦で、西武・清原と初対決し、ホームランを打たれる。 |
| 1987 |
19 |
前半戦で2ケタ勝利に到達。最終的に15勝6敗と躍進し、リーグ優勝に大きく貢献する。最優秀防御率のタイトルを獲得し、沢村賞に選出される。ベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。 |
| 1988 |
20 |
10勝にとどまり、勝ち数が負け数(11敗)を下回る。ゴールデングラブ賞を受賞。 |
| 1989.10.28 |
21 |
近鉄戦で日本シリーズ初勝利。 |
| 1989 |
21 |
この年藤田元司氏が監督に就任し、三本柱(斎藤、桑田、槙原)が確立。自己最多となる17勝を挙げ、チームの日本一に貢献。 |
| 1990 |
22 |
1カ月間の謹慎処分を受けたものの14勝。チームもリーグ連覇を果たした。 |
| 1991.04.14 |
23 |
広島戦でプロ初セーブ。 |
| 1991 |
23 |
チーム最多となる16勝を挙げる。ゴールデングラブ賞を受賞。 |
| 1992 |
24 |
なんとか2ケタ勝利を挙げたものの、リーグワーストの14敗と精彩を欠く。 |
| 1993 |
25 |
この年も15敗。勝ち数は8にとどまり、2年目のシーズンから6年間続いていた2ケタ勝利が途切れる。ゴールデングラブ賞を受賞。 |
| 1994.07.06 |
26 |
阪神戦で通算100勝を達成。 |
| 1994.10.08 |
26 |
10・8決戦。桑田は3番手として7回から登板し、3回を投げ中日打線を0点に抑えて胴上げ投手となる。 |
| 1994 |
26 |
14勝を挙げMVPに選出。最多奪三振のタイトルも獲得した。日本シリーズでも先発、抑えとフル回転し、チームを日本一に導いた。ゴールデングラブ賞を受賞。 |
| 1995.05.24 |
27 |
阪神戦で小飛球を処理した際に右ひじを強打。当初は重傷とは思われていなかったがこのプレーで「右ひじ側副じん帯」を断裂する。 |
| 1995 |
27 |
シーズン中の負傷もあり3勝。 |
| 1996 |
28 |
年初に渡米し、スポーツ外科の権威・ジョーブ博士の執刀でトミー・ジョン手術を受ける。シーズン終盤には復帰もささやかれたが登板はなし。 |
| 1997.04.06 |
29 |
ヤクルト戦で故障後初めて先発登板し勝利。このシーズンより巨人に移籍した清原とプロ入り後初めてチームメートとしてプレーする。 |
| 1997 |
29 |
先発ローテーションを1年間守りきり、完投こそなかったものの10勝を挙げる。ゴールデングラブ賞を受賞。 |
| 1998 |
30 |
先発の柱として活躍。16勝を挙げ「桑田復活」を印象付けた。ゴールデングラブ賞を受賞。 |
| 1999 |
31 |
開幕から先発ローテーションを守っていたものの、終盤にリリーフを任される。8勝を挙げたものの、この年入団した上原にエースの座を譲る。 |
| 2000 |
32 |
抑えのエース・槙原が中盤に離脱し、ストッパーに。チームは日本一に輝くが、5勝と物足りないシーズンに。 |
| 2001.08.10 |
33 |
ヤクルト戦で通算150勝を達成。 |
| 2001 |
33 |
シーズン前半に二軍落ちを経験。先発、中継ぎ、抑えと起用法が定まらず4勝と3年連続で勝ち星が1ケタにとどまる。 |
| 2002 |
34 |
この年から監督に就任した原辰徳氏の意向で先発ローテーションに復帰。安定したピッチングを武器に12勝を挙げ、チーム日本一の原動力となる。最優秀防御率のタイトルを獲得。ゴールデングラブ賞を受賞。 |
| 2003〜2006 |
|
持ち前の安定感にかげりが見え始め、防御率が悪化。2005年には0勝7敗、2006年もわずか3試合の登板で1勝にとどまる。 |
| 2006.09.23 |
38 |
球団の公式HPにこの年限りでの退団を示唆する文章が掲載される。 |
| 2006.12.01 |
38 |
コミッショナー事務局から自由契約選手として公示される。 |
| 2006.12.18 |
38 |
パイレーツとマイナー契約が合意に達する。 |
| 2007.03.26 |
38 |
ブルージェイズとのオープン戦に登板。三塁にベースカバーに入る際に審判と激突し、右足首のじん帯を損傷。開幕メジャーへの道が閉ざされる。 |
| 2007.06.02 |
39 |
故障から復帰。3Aの試合に登板。 |
| 2007.06.09 |
39 |
メジャー昇格。 |
| 2007.06.10 |
39 |
ヤンキース戦でMLBデビューを果たす。史上3番目のオールドルーキー。巨人時代の同僚・松井秀喜と対戦したが結果は四球。 |
| 2007.06.21 |
39 |
マリナーズ戦に登板しイチローと対戦。空振り三振に切ってとる。 |
| 2007.07.02 |
39 |
ブルワーズ戦でメジャー初黒星を喫する。 |
| 2007.08.14 |
39 |
パイレーツから戦力外通告を受ける。19試合に登板し0勝1敗、防御率9.43の成績だった。 |
| 2007.09 |
39 |
痛めていた右足首の手術を受ける。 |
| 2008.01.08 |
39 |
再びパイレーツとマイナー契約を結ぶ。 |
| 2008.03.26 |
39 |
現役引退を表明 |