| 年月日 |
齢 |
詳細 |
| 1968.09.28 |
0 |
三重県南牟婁郡御浜町生まれ |
| 1984.04 |
15 |
和歌山県立新宮高校に入学 |
| 1988.04 |
19 |
1年間の浪人後、東京経済大学に入学 |
| 1992.04 |
23 |
朝日生命硬式野球部に入部。93年の都市対抗野球に出場(熊谷組の補強選手として) |
| 1993 |
25 |
阪神タイガースにドラフト1位(逆指名)で指名され、入団。背番号は「18」。登録名は「藪 恵市」(本名は恵一)。 |
| 1994.04.13 |
25 |
中日戦でプロ初登板、初先発 |
| 1994.04.19 |
25 |
広島戦でプロ初勝利、初完投。この試合は阪神創設以来7000試合目だった。 |
| 1994.05.24 |
25 |
巨人戦でプロ初完封 |
| 1994.05 |
25 |
月間MVPに選出される。 |
| 1994 |
26 |
プロ初勝利以来6連勝を記録するなど9勝を挙げ、早くも中心選手として活躍。阪神からは39年ぶりとなる新人王に輝き、オールスターにもファン投票で出場 |
| 1995 |
27 |
「恵市」から「恵壹」に登録名を変更。防御率は2.98と安定した投球を見せるもののリーグ最多となる13敗(7勝)を喫する。 |
| 1996 |
28 |
自己初の2ケタ勝利となる11勝(14敗)を挙げるが、この年も最多敗戦投手に。 |
| 1997 |
29 |
2年連続となる2ケタ勝利(10勝12敗)。この年から巨人に入団した清原(現オリックス)への内角攻めをめぐる遺恨が話題に。 |
| 1998 |
30 |
初めて勝ち数が負け数を上回る(11勝10敗) |
| 1999 |
31 |
速球派から技巧派へ転身するが結果が出ず6勝(16敗)止まり |
| 2000 |
32 |
開幕当初は勝ち星を順調に重ねたものの、5月以降ほとんど勝てなくなり前年に続く6勝(10敗) |
| 2001 |
33 |
自身初の開幕2軍スタート。ひじの故障もあり勝ち星なし(4敗)に終わる。 |
| 2002 |
34 |
背番号を「4」に変更。前半戦で7勝を挙げるものの、7月に故障し9月に復帰するものの10勝(6敗)。チームも後半に失速 |
| 2003 |
35 |
星野仙一監督のもと18年ぶりのリーグ制覇。終盤に故障し戦線を離脱するが8勝3敗と安定した力を見せ優勝に貢献。この年、FA資格獲得 |
| 2004.08.11 |
36 |
横浜戦で1000奪三振を記録 |
| 2004 |
36 |
防御率3.02(規定投球回数には達せず)ながら、打線の援護が無いピッチングが続き6勝(9敗)どまり |
| 2004.10.27 |
36 |
FA宣言する意思を表明 |
| 2005.01.13 |
36 |
アスレチックスと1年100万ドル(約1億300万円)で契約 |
| 2005.04.10 |
36 |
デビルレイズ戦でメジャー初登板 |
| 2005.04.22 |
36 |
エンゼルス戦でメジャー初勝利。日本人投手としては最年長勝利を記録した。 |
| 2005.07.25 |
36 |
インディアンス戦でプロ初セーブ |
| 2005 |
37 |
救援で40試合に登板し4勝1セーブ |
| 2005.10.17 |
37 |
アスレチックスから解雇通告 |
| 2006.01.18 |
37 |
ロッキーズとマイナー契約 |
| 2006.03.31 |
37 |
ロッキーズを退団 |
| 2006.06.29 |
37 |
メキシカンリーグのティファナ・ポトロスに入団。この年5Sを挙げ、シーズン終了後に退団 |
| 2007.12.25 |
39 |
1年間のブランクを経てジャイアンツとマイナー契約 |
| 2008.03.30 |
39 |
3年ぶりのメジャー昇格 |
| 2008.04.14 |
39 |
ダイヤモンドバックス戦で2回を無失点に抑え、05年5月(当時アスレチックス)以来、3年ぶりの白星 |
| 2008.04.15 |
39 |
マイナー降格 |
| 2008.04.19 |
39 |
メジャー再昇格 |
| 2008.07.20 |
39 |
右手中指を痛め、故障者リスト(DL)入り |
| 2008.09.28 |
40 |
故障者リストから復帰後も主に中継ぎで登板し、最終的には60試合で3勝6敗、防御率3.57の成績を残した |