| 軌跡 |
| 年月日 |
齢 |
詳細 |
| 1974.06.12 |
0 |
石川県能美郡根上町生まれ |
| 1976.04 |
1 |
根上町立山口保育園に入園 |
| 1981.04 |
6 |
根上町立浜小学校に入学 |
| 1985 |
10 |
小学5年時に、捕手として根上少年野球クラブに入団 |
| 1987.04 |
12 |
根上中学校に入学し、野球部に入部 |
| 1990.04 |
15 |
星稜高校に入学し、内野手として野球部に入部 |
| 1991.08 |
17 |
夏の甲子園で、3回戦の竜ケ崎一戦で甲子園第1号を放つ。 |
| 1992.03 |
17 |
センバツに出場し、2回戦の堀越戦で本塁打を放ち、ゴジラの異名を受けた。 |
| 1992.08.16 |
18 |
夏の甲子園で、2回戦の明徳義塾戦で5連続敬遠。高校通算の本塁打は60本、打率.457 |
| 1992.09 |
18 |
日米韓親善野球の全日本高校選抜チームのメンバーに選出 |
| 1992.11.21 |
18 |
ドラフト会議で4球団競合の末、読売ジャイアンツがドラフト1位で交渉権を獲得 |
| 1993.03 |
18 |
オープン戦は53打数5安打20三振の成績で、開幕は2軍スタート |
| 1993.05.02 |
18 |
ヤクルト戦で、西村龍次からプロ初安打(中越え二塁打) |
| 1993.05.03 |
18 |
ヤクルト戦で、高津臣吾からプロ初本塁打 |
| 1994.06 |
20 |
実家の隣に松井記念館が設立 |
| 1995 |
20 |
松井秀喜ホームラン基金をスタート |
| 1995.06.23 |
21 |
広島戦で、山内泰幸からプロ初の満塁本塁打 |
| 1995.08.22 |
21 |
横浜戦で、三浦大輔から通算50号本塁打を放つ。 |
| 1995 |
21 |
22本塁打を放ち、初のベストナインに選出 |
| 1996 |
22 |
130試合に出場し、打率.314、38本塁打、99打点の成績でチームの優勝に貢献し、初のMVPを受賞。2年連続のベストナインにも選出 |
| 1997.04.27 |
22 |
広島戦で、山崎健から通算100号本塁打を放つ。 |
| 1997 |
23 |
3年連続のベストナインに選出 |
| 1998.07.28 |
24 |
ヤクルト戦で、川崎憲次郎から通算150号本塁打を放つ。 |
| 1998.10.03 |
24 |
34本塁打、100打点の成績を残し、初タイトルの本塁打王、打点王、最高出塁率を獲得。4年連続のベストナインに選出 |
| 1999.09.21 |
25 |
阪神戦で、舩木聖士から通算200号本塁打を放つ。 |
| 1999 |
25 |
5年連続のベストナインに選出 |
| 2000 |
26 |
42本塁打、108打点の2冠でチームを日本一に導き、リーグと日本シリーズのMVPをダブル受賞。正力松太郎賞とゴールデングラブ賞を初受賞し、2年ぶりに最高出塁率のタイトルを獲得。6年連続のベストナインに選出 |
| 2000.11.16 |
26 |
県民栄誉賞を受賞 |
| 2001.04.12 |
26 |
中日戦で、バンチから通算250号本塁打を放つ。 |
| 2001.05.03 |
26 |
歴代5人目となる連続1000試合出場を達成 |
| 2001.07.10 |
27 |
オールスターファン投票で初の最多得票を獲得し、8年連続出場 |
| 2001.07.24 |
27 |
オールスター史上初の3試合連続本塁打を近鉄・中村紀洋と共に記録 |
| 2001.08.03 |
27 |
5月5日からセ・リーグ記録の65試合連続出塁を記録 |
| 2001.09.27 |
27 |
プロ入り初となる3打席連続本塁打 |
| 2001.10.12 |
27 |
打率.333で初の首位打者に輝くとともに、2年連続でゴールデングラブ賞を受賞し、7年連続ベストナインに選出 |
| 2001.12.25 |
27 |
プロ野球史上最高額の年俸6億1000万円でサイン |
| 2002.07.03 |
28 |
オールスターファン投票で2年連続2度目の最多得票となる129万8046票を集め、9年連続出場 |
| 2002.07.09 |
28 |
広島戦で、黒田博樹から通算300号本塁打を放つ。 |
| 2002.08.01 |
28 |
4番としての連続出場の日本新記録となる、363試合連続出場を記録 |
| 2002.10.17 |
28 |
50本塁打、107打点の2冠、3度目の最高出塁率のタイトルを獲得し、リーグ優勝に貢献した。 |
| 2002.11.01 |
28 |
フリーエージェント(FA)権を行使し、メジャー移籍を表明 |
| 2002.11.01 |
28 |
2年ぶり3度目のMVP、8年連続のベストナインに選ばれる。 |
| 2002.11.09 |
28 |
アーン・テレム氏と代理人契約を結ぶ。 |
| 2002.11.10 |
28 |
3年連続のゴールデングラブ賞を受賞 |
| 2002.12.20 |
28 |
ヤンキースと3年総額2100万ドル(約25億2000万円)で合意 |
| 2003.01.13 |
28 |
メジャーリーグ史上類を見ない盛大な入団会見が行われた。 |
| 2003.04.08 |
28 |
本拠地でのツインズ戦で、メジャー初本塁打を満塁弾で飾る。 |
| 2003.06.29 |
29 |
メッツ戦でメジャーリーグ通算100安打を9号ソロで飾る。 |
| 2003.07.02 |
29 |
6月23〜29日のア・リーグ週間MVPを受賞(打率.500、2本塁打、14打点) |
| 2003.07.03 |
29 |
6月の打率.394、6本塁打、29打点の活躍を受けて、月間最優秀新人賞を獲得 |
| 2003.07.15 |
29 |
オールスターにア・リーグファン投票外野手部門3位で選出。試合では左前打を放つ。 |
| 2003.07.17 |
29 |
インディアンス戦でメジャー初のサヨナラ本塁打を放つ。 |
| 2003.09.28 |
29 |
打率.287、16本塁打、106打点の成績でシーズン終了 |
| 2003.10.19 |
29 |
ワールドシリーズで日本人初本塁打を放つ。 |
| 2004.03.31 |
29 |
日本凱旋試合のデビルレイズ戦で本塁打を放つ。 |
| 2004.06.02 |
29 |
5月24〜30日のア・リーグ週間MVPを受賞(打率.524、2本塁打、7打点) |
| 2004.07.13 |
30 |
2年連続でオールスターに出場(9回表代打で途中出場) |
| 2004.07.25 |
30 |
メジャー通算4本目の満塁弾を含む自己最多タイの1試合5打点をマーク |
| 2004.09.30 |
30 |
自身初の3試合連続本塁打、九回サヨナラのホームを踏みヤンキースは地区優勝 |
| 2004.10.03 |
30 |
打率.298、31本塁打、打点108の成績でシーズン終了 |
| 2005.06.20 |
31 |
6月13〜19日のア・リーグ週間MVPを受賞(打率.455、3本塁打、10打点) |
| 2005.07.28 |
31 |
メジャー新記録の、デビューから425試合連続出場を達成 |
| 2005.09.03 |
31 |
メジャー3年連続100打点をマーク |
| 2005.09.07 |
31 |
デビルレイズ戦で、ウェクターから日米通算400号本塁打を放つ。 |
| 2005.10.01 |
31 |
ヤンキースの8年連続地区優勝に貢献する23号ソロを放つ。 |
| 2005.10.02 |
31 |
打率.305、23本塁打、116打点の成績でシーズン終了 |
| 2005.11.16 |
31 |
ヤンキースと4年契約5200万ドル(約61億8800万円)で合意、残留を発表 |
| 2006.05.11 |
31 |
レッドソックス戦の一回守備途中、左手首を骨折。連続試合出場記録は日米通算1768試合(日本1250、米国518)で途切れた。 |
| 2006.05.12 |
31 |
手術を受け、翌13日に退院 |
| 2006.06.05 |
31 |
ヤンキースタジアムで骨折後初の練習 |
| 2006.07.06 |
32 |
グラブをつけての捕球と両手での素振りに許可が下りる。 |
| 2006.07.23 |
32 |
骨折後初めて外野ノックを受けたほか、両手で力強い素振りを10スイング |
| 2006.08.23 |
32 |
約3カ月半ぶりに両手でバットを持ち、約30分間52球のティー打撃 |
| 2006.09.01 |
32 |
屋外で初のフリー打撃を行い32スイング中、6本のサク越えを披露 |
| 2006.09.06 |
32 |
2Aトレントンで118日ぶりに実戦復帰 |
| 2006.09.12 |
32 |
124日ぶりに出場したメジャーの試合で、適時打を含む4安打1打点と活躍 |
| 2006.09.14 |
32 |
復帰後初となる本塁打が、推定飛距離140メートルの3階席直撃弾となる。 |
| 2006.10.01 |
32 |
打率.302、8本塁打、29打点の成績でシーズン終了 |
| 2007.02.16 |
32 |
著書「不動心」を出版 |
| 2007.04.07 |
32 |
走塁中に左太もも裏を痛め、故障者リスト(DL)入り |
| 2007.04.23 |
32 |
デビルレイズ戦に「6番・左翼」で16日ぶりに復帰、犠飛で1打点を挙げた。 |
| 2007.05.06 |
32 |
マリナーズ戦で左翼二塁打を放ち、日米通算2000安打を達成。失策が一転、安打という珍しいメモリアルヒットとなった。メジャーに移籍した日本人選手による日米通算2000安打はイチローに次いで2人目 |
| 2007.08.02 |
33 |
7月のア・リーグ月間MVPを初受賞(打率.345、13本塁打、28打点) |
| 2007.09.30 |
33 |
打率.285、25本塁打、打点103の成績でシーズン終了 |
| 2007.11.14 |
33 |
右ひざの内視鏡手術を受け成功、翌々日からリハビリ開始 |
| 2008.06.23 |
34 |
左ひざ痛のため故障者リスト(DL)入り |
| 2008.08.19 |
34 |
ブルージェイズ戦で約2カ月ぶりの戦列復帰。「7番・指名打者」で先発し、3打数無安打 |
| 2008.09.22 |
34 |
左ひざの内視鏡手術を受け、09年2月中旬のキャンプ復帰を目指す。 |
| 2008.09.28 |
34 |
打率.294、9本塁打、打点45の成績でシーズン終了 |
| 2009.04.06 |
34 |
日本人初の開幕4番で右中間本塁打を放って日米通算445号とし、恩師である長嶋茂雄・巨人終身名誉監督の記録を抜いた。 |
| 2009.10.04 |
35 |
打率.274、28本塁打、90打点の成績でシーズン終了 |
| 2009.11.04 |
35 |
ワールドシリーズで3本塁打を放つなどシリーズ最多タイ記録の1試合6打点をマーク。ヤンキースを9年ぶり27度目のワールドチャンピオンに導き、同シリーズで日本選手初のMVPに輝いた。 |
| 2009.11.10 |
35 |
フリーエージェント(FA)として公示 |
| 2009.12.16 |
35 |
エンゼルスと1年契約の年俸600万ドル(約5億4000万円)で合意 |
| 2010.04.28 |
35 |
インディアンス戦の五回に右前打を放ち、メジャー通算1000安打を達成 |
| 2010.05.08 |
35 |
マリナーズ戦の延長十回に左前へ決勝適時打を放ち、日米通算1500打点を達成 |
| 2010.09.16 |
36 |
インディアンス戦で2年連続の20号本塁打を放ち、落合博満氏の1564打点に日米通算で並んだ。 |
| 2010.10.03 |
36 |
打率.274、21本塁打、打点84の成績でシーズン終了 |
| 2010.12.14 |
36 |
アスレチックスと1年契約の年俸425万ドル(約3億5700万円)で合意 |
| 2011.04.03 |
36 |
マリナーズ戦で左翼線二塁打を放ち、日米通算2500安打を達成 |
| 2011.05.01 |
36 |
レンジャーズ戦で適時二塁打を放った後に生還し、日米通算1500得点(うち日本で901)を達成 |
| 2011.07.20 |
37 |
タイガース戦で日米通算500号本塁打を達成 |
| 2011.07.25 |
37 |
7月18〜24日のア・リーグ週間MVPを受賞(打率.571、2本塁打、7打点) |
| 2011.08.29 |
37 |
インディアンス戦で左翼線二塁打を放ち、立浪和義(中日)が持つプロ野球記録487二塁打を抜き、日米通算488二塁打とした。 |
| 2011.09.28 |
37 |
打率.251、12本塁打、72打点の成績でシーズン終了 |
| 2011.10.30 |
37 |
フリーエージェント(FA)として公示 |
| 2012.04.30 |
37 |
レイズとマイナー契約 |