MLBオールスターゲーム

 
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年度別勝敗
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■MLBオールスターゲーム

第1回オールスターゲームは1933年(昭和8年)7月6日、ホワイトソックスの本拠地コミスキー・パークで開催された。この年にシカゴで万国博覧会が開かれることになり、記念となる大きなスポーツイベントが求められていた。そこで、地元紙『シカゴ・トリビューン』のアーチ・ウォード記者の発案、尽力により実現した。
 夢のイベント実現の裏には伝説が残っている。当時、ニューヨーク・ヤンキース(ア・リーグ)のスーパースターがベーブ・ルース。同じニューヨークが本拠地のジャイアンツ(現サンフランシスコ・ジャイアンツ)の左腕エースはカール・ハッベル投手。しかし、ヤンキースとジャイアンツはリーグが違うため、ワールドシリーズに出場しない限りは対決は見られない。ファンの誰もが望んだ「夢の対決を見てみたい」という少年ファンの投書がきっかけになったという。
 しかし、この企画にオナーたちは大反対。大事な看板選手のケガ、さらに収益はチャリティーに回されるとあって利益になることはなにもないのだ。選手たちも、まったく乗り気でなく、1回だけの真夏の夢で終わるはずだった。  ところが、この歴史的な試合は5万人近い観客を集める。ナ・リーグのジョン・マグロー監督、ア・リーグのコニー・マック監督がともに「このイベントが毎年行われることを望む」と語り、さらに世論の高まりもあって、オーナーたちも渋々譲歩することになる。
 1試合しか行われないメジャーのオールスターに権威があるのは出場することに、大きな名誉と価値があるからだ。ちなみに日本では少なくとも2試合、五輪イヤーには3試合になる。「疲れた、休みたい」などと日本では選手が不満を漏らし出場することに消極的な傾向があるが、この試合数も影響している。
 だが、メジャーでも59年から62年までは年2回開催だった。理由は金銭面。メジャーリーガーが引退後に支給される年金は、オールスターの入場料収入にテレビ放映料とワールドシリーズのテレビ放映料が資金になっていた。選手たちの1ドルでも年金をもらえるならという思いから始まった。しかし、移動と日程、そして観客動員が大幅に減った。オールスターと冠するイベントは1試合だからこそ希少価値があったわけだ。
 長い歴史を誇るオールスターゲームで名場面として語り継がれているのが第2回大会。カール・ハッベル投手の快投。一回から二回にかけて、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリック、ジミー・フォックス、アル・シモンズ、ジョー・クローニンを5者連続三振に打ち取った。のちに、この全員が野球殿堂入りすることになるが、本物の選ばれたスーパースターだけが集まるのがオールスターゲームなのだ。
 こうして、7月の第2火曜日は、『ミッド・サマー・クラシック』と呼ばれ全米、いや世界中の野球ファンを楽しませている。

■ホームラン・ダービー

本戦前日に行われる、このイベントはホームランバッターが、パワーを競い合う。始まったのは1985年と、それほど昔ではない。
 決められた球数の中で、ホームラン数を競い、もっとも多くのスタンドインをした選手が優勝する。91年からは、一対一による勝ち抜きトーナメント制になり、さらに2005年からは国別対抗戦として行われている。
 名だたるホームランバッターが出場しているが、なかなか優勝できない。バリー・ボンズ(ジャイアンツ)は96年の1度だけ。サミー・ソーサも6回中1回、マーク・マグワイアも7回中1回と苦戦している。
 そんな中で、ケン・グリフィー・ジュニアは94、98、99年と3回優勝で複数回、優勝しているのはグリフィーだけで、しかも、ホームラン・ダービーに勝ったときには、シーズンでもホームランキングに輝いている。
 メジャーでも指折りのスラッガーが出場するイベントに日本人選手が出場したことはない。03年にイチローが、同僚のブレット・ブーンから出場を要請されたが、辞退している。イチローや松井秀喜が出場するのを見てみたいものだ。