今観てほしい感動の実話「明日への遺言」
軍事法廷で、バーネット検察官(フレッド・マックィーン、左)に毅然とした態度で立ち向かう岡田中将(藤田まこと)。ちなみにフレッドは故スティーブ・マックィーンの息子で、父そっくりの姿も話題のひとつ
組織の中でリーダーシップを問われることの多い大人世代。なにかと悩み多きそんな局面に参考になる映画が3月1日、封切られる。「明日(あした)への遺言」(小泉堯史監督)がそれだ。第2次大戦中に捕虜となった米軍機搭乗員を処刑した罪に問われ、戦犯裁判にかけられた岡田資(たすく)中将が、米軍の無差別攻撃の違法性を主張、日本の名誉を守ろうと軍事法廷で「法戦」を挑んだ物語だ。リーダーとはどうあるべきか、責任の取り方とは−。中将の遺した言葉は、今を生きる大人たちの心にしみいる。
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岡田資中将は、主に中部地方を守備範囲とする第13方面軍司令官兼東海軍司令官。戦時中、名古屋を空襲後に撃墜され、捕虜となった米の爆撃機B29の搭乗員38人を正式な裁判をしないまま処刑した責任を問われ、戦後、B級戦犯として連合国に訴追された。
その裁判を岡田中将は「法戦」と位置づけ、無差別攻撃の違法性や処刑手続きの正当性を訴える一方で、「部下のしたことは指揮官の責任である」と一身に責任を背負い、部下19人の命を救い、ただ1人、絞首刑に処せられた。
映画「明日への遺言」は、岡田中将のこの「法戦」を事実に基づいて忠実に描いている。その重厚な画面から浮かび上がってくるのは、理想ともいえるリーダー像だ。
プロデューサーの原正人さんによると、岡田中将を題材にしたのは、「今の時代はリーダーがきちんと役割を果たしていない。政治が混迷し、食品偽造などが多発するのもそのため。日本は敗戦からここまでよく立ち直ったが、気が付くと人間の『支え』がどこかにいっていた、こうした憂いを抱く人が世の中にはきっと多いはず」という思いからだった。
原作は大岡昇平さんの「ながい旅」。「野火」「レイテ戦記」「俘虜記」など戦記文学の傑作を遺した大岡さんが、岡田中将の裁判記録や中将自身が書いたものなどを調べて中将の足跡を書き上げたノンフィクションだ。
映画は法廷場面を中心に緊迫したやりとりが続くが、ときおり、傍聴席の家族と笑顔をかわしたり、“敵”であるはずの米側の検事となごやかなやりとりがあるなど、同中将の人柄の深さと幅広さも描かれている。
同中将の長男の陽(あきら)さんは、父を「軍人として戦い一方ではなく、幅広いものの考え方の出来る人だったように思います。人間として男として、自分の責任と向き合い、それを全うした。私にとって人生の教科書です」という。
意志の強さと幅広い人間性。映画評論家の品田雄吉さんは同中将の生き方について「ノブレス・オブリージュ」という言葉をあてはめる。
「『ノブレス・オブリージュ』とは、フランス語で『高い身分には義務が伴う。身分の高い者は当然、剛勇・仁慈・高潔などの徳を備えなければならない』という意味。岡田中将は、身をもって『ノブレス・オブリージュ』が何であるかを示した高潔の人だったといえるでしょう」とみる。
たとえ真似はできなくても、生き方に悩んだとき、岡田中将のことを思い出してみるのもいい。
■岡田資(たすく)中将
明治23(1890)年、鳥取県生まれ。陸軍士官学校、陸軍大学卒。イギリス大使館付の武官補佐官として2年半ロンドン駐在、秩父宮殿下のお付き武官などをつとめた後、昭和16(1941)年、陸軍中将。20(1945)年2月から、主に中部地方を守備範囲とする本土防衛陸軍部隊である第13方面軍司令官兼東海軍管区司令官。21(1946)年、巣鴨プリズン入所、23(1948)年3月、横浜法廷にて「東海軍事件・岡田ケース」開廷(岡田中将の証言は4月20日から29日のうち8日間)。5月19日、絞首刑判決。24(1949)年、9月17日、午前0時半、刑死。
【あらすじ】
第2次大戦後、連合国による日本の戦争犯罪者を裁く軍事裁判が始まった。横浜地方裁判所では、第13方面軍司令官兼東海軍司令官の岡田資中将(藤田まこと)の裁判が行われていた。名古屋空襲の際に捕虜となった米軍機搭乗員38人を処刑した罪に問われたのだ。 同中将は、先勝国の論理で裁こうとする米国の裁判官や検事と真正面から対峙、非人道的な無差別空襲の罪を認めさせようとたった1人で法廷闘争に挑んだ。敗戦で自信と誇りを失ってしまった戦犯が少なくない中、同中将はこの裁判を「法による闘い=法戦」と称して、強靱な意志と誇りで戦い抜く。部下を守り、すべての責任を一人で背負おうとしている彼の「法戦」を、妻(富司純子)ら家族が見守っていた…。
【名古屋空襲とは】
米軍の名古屋への爆撃は昭和19年12月13日から20年7月26日まで38回に及んだ。特に3月12日以降は軍事的目標のない無差別爆撃が行われ、5月14日の空襲では市の北部80%が焼失、名古屋城も炎上し、最も犠牲が大きかった。中日新聞の同日午後7時の集計によれば、死者324人、負傷者624人、全焼2万3394棟だったという。このとき撃墜されて降下した11人を含む米軍搭乗員38人を処刑した責任を問われ、岡田資中将はB級戦犯として起訴された。
◆作家・澤地久枝さん
「映画が終わり、一瞬の闇がきたとき、うめくような思いに立ち上がれなかった。見事な法廷ドラマに圧倒された。原作者の大岡さんは敗戦時、日本人の『虚脱状態の中で、判断力と気力に衰えを見せず、主張すべき点を堂々と主張したところに、私は日本人を認めたい』と岡田資の名をあげた。恥を忘れ、無責任社会となった今、一人でも多くの人にこの作品を観てもらいたい」


◆作家・高杉良さん
「政治家に岡田中将のような人がいなかったのは日本国民にとって大きな不幸だった。(岡田中将が当時語った)『司令官は、その部下が行ったすべてについて、唯一の責任者である』という言葉には、若い部下に日本の再生への礎になってもらいたいとの思いもあったのでしょう。未来を見据えることこそ、リーダーの重要な資質でしょう」