2015.10.3 11:00

【私の失敗(5)】羽川豊、打つのが怖くなり…8年間試合から離れた

【私の失敗(5)】

羽川豊、打つのが怖くなり…8年間試合から離れた

特集:
私の失敗
1999年5月、通常の長さのパターで打つ羽川。クロスハンド(逆手)で握り、眉間にしわが寄っている

1999年5月、通常の長さのパターで打つ羽川。クロスハンド(逆手)で握り、眉間にしわが寄っている【拡大】

 緊張で心臓が破裂しそうでした。2008年6月、千葉・成田ゴルフ倶楽部で行われた「スターツシニア」。僕は8年ぶりに試合に出ました。スタートの10番(パー4)で第2打をピン50センチにつけ、これを沈めてバーディー。「よかった。試合でパットを打てた」。2番も4メートルのパットを普通に打てた。それだけで僕には大きな進歩でした。

 1991年3月の2勝で、ショットの不振から脱出できました。ところが6月からパットが入らなくなりました。92、93年のひどい頃は、3パットが9ホールで3、4回。50センチも入らない。それでも続けていたら、たまたまパットが入った96年の「関東オープン」優勝でシードを取った翌97年はさらにひどくなりました。打つときに怖くなり、思うように手が動かなくなる「イップス」でした。

 何とかしようと、パターを替えまくりました。100本以上。1本1万円とか2万円とかしただろうけど、目先のお金はどうでもよかった。メンタルコーチをつけ、心情をファクスで送ってアドバイスをもらったりしたけど、全然駄目。クロスハンド(逆手)や、本来と逆の右で打ってみたり…。片手でも打ったけど、やはり駄目でした。

 外れるのはカップ左ばかり。インパクトで怖くなり、パターヘッドが開くからです。入らなくてカップの周りを1周するようになっていました。「これじゃ勝てない…」。2000年の「日本プロ」を最後に、試合を離れることを決断しました。42歳。ゴルフが職業なのに試合に行かない。大失敗ですよね。「勝てないのなら意味がない」という思いでした。

 ただ、ゴルフは続けていました。50歳までの8年間、年間60ラウンドは回っていました。プロ以外とのプレーでも、毎回「何かきっかけはないか?」と探し続けていました。1度も雑にプレーしたことはありません。

 そんな06年、家の隅で長尺パターを見つけました。その10年ほど前にだれかにもらったのですが「長尺なんてプロが使うものじゃない」と放ってありました。ところが遊びのラウンドで使うと、2メートルのパットで不思議と手が動きました。イップスの変な動きも出ません。「これならできるかも…」。そこから体を鍛え直し、50歳になった08年のシニアツアーで試合に復帰。11年7月の「PGAフィランスロピーシニア」で20年ぶりのツアー優勝を果たせました。

 その後シニアで2勝。長尺パターがなければ、今の僕はありませんでした。8年間も競技を離れながら、何かを見つけようと探し続けたことが次につながりました。スランプばかりのゴルフ人生ですが、失敗から学ぶものはとても多い。人との出会いもある。今は試合に出られる幸せを感じています。また優勝争いで手が動かなくなるかもしれないけれど「人生、もうひと山あってもいいかな」とさえ考えています。 (おわり)

(紙面から)

  • 2008年6月、羽川は長尺パターを手に8年ぶりの大会出場。眉間のしわは消えていた