2018.4.24 10:00(1/2ページ)

【関西レジェンド伝】坂田利夫(3)「アホの坂田」で漫才手応え

【関西レジェンド伝】

坂田利夫(3)「アホの坂田」で漫才手応え

特集:
関西レジェンド伝
1973年の舞台から。「アホの坂田」もすっかり定着しておりました

1973年の舞台から。「アホの坂田」もすっかり定着しておりました【拡大】

 西川きよしさんに漫才を勧められた頃、吉本新喜劇の先輩から「漫才やろか」と声をかけられました。前田五郎さんです。漫才師の浅草四郎さん(1968年死去)の弟子で、師匠と同じ漫才やりたいから組まへんか、ということでした。

 そこで誕生したのが「コメディNo.1」です。67年のことでした。コンビ名は新喜劇の台本を書いてらした檀上茂先生につけてもらいまして、最初の仕事は大阪刑務所への慰問でしたな。

 やってみると難しいですわ、漫才は。男同士でやるでしょ、けんかしますのや。ネタは作家さんに書いてもらって、それを僕らがやりやすいように直してたんですけどね、せりふは覚えなあかんし、息と間が大切やからね。性格が合わんと漫才はうまくいきません。漫才コンビはネタより性格が大事やね。

 それでも、僕らは芝居から抜け出したコンビだったので、けっこう動き回るほうでね、それがウケたのかもしれませんな。きよしさんに「漫才はいいぞ。2人であれだけのお客さん沸かすんやぞ。たまらんぞ」と言われてましたけどね、その気持ちがわかりましたね。舞台に出ていったときの拍手と声援、あれはうれしいですよ。

 70年に上方漫才大賞の新人賞、NHK上方漫才コンテストの優秀話術賞、72年に上方お笑い大賞の金賞と、いろいろ賞もいただきましたけど、漫才で手応えをつかんだのは、やはり「アホの坂田」と言い出してからですかね。

【続きを読む】

  1. サンスポ
  2. 芸能社会
  3. 芸能
  4. 【関西レジェンド伝】坂田利夫(3)「アホの坂田」で漫才手応え