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【二十歳のころ 近藤真彦(3)】失意の底で救われた…今も生きるメリーさんの激励

【二十歳のころ 近藤真彦(3)】

失意の底で救われた…今も生きるメリーさんの激励

特集:
二十歳のころ

 僕はTBS系ドラマ「3年B組金八先生」に出演していた中学3年から二十歳までをジャニーズの合宿所で過ごした。

 「金八先生」の半年間(1979年10月~80年3月)は、地元の神奈川・大和市と東京・六本木の合宿所を行ったり来たり。ドラマの終了と同時に地元の中学を卒業し、80年4月に東京・明大中野高に入学。それを機に自宅を離れ、正式に合宿所生活が始まったんだ。

 当時は、ジャニーズに所属していたロックバンド、ANKHのメンバーの松原秀樹さん、長谷部徹さん、曾我泰久さん(のちのTHE GOOD-BYEのメンバー)に、ソロで活動していた川崎麻世さんらが暮らしていた。僕は、トシちゃん(田原俊彦)らジャニーズJr.10人くらいと一緒に大部屋をあてがわれていた。ちなみに、一番売れていた麻世さんの部屋は僕らのより広かったよ。

 Jr.には、パンツと靴下を入れる衣装ケースを、それぞれ1つずつ与えられていた。お手伝いのおばちゃんが下着を洗濯したあと、そこに入れてくれていた。ただ、よく間違えられて、みんな、マジックでパンツに名前を書いてたな。

 17歳のとき、原宿に新しい合宿所ができると、僕はそっちへ移った。すでに「スニーカーぶる~す」で歌手デビューし、「ギンギラギンにさりげなく」で日本レコード大賞最優秀新人賞も受賞していたから、広い部屋を与えられた。六本木の麻世さんの部屋よりも大きかったよ。忙しかったから、合宿所には寝に帰るだけだったけどね。

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