2017.11.15 11:00(1/2ページ)

【二十歳のころ 高須克弥(2)】医学部時代ノート貸してくれた女友達が「YES高須クリニック!」考案した女房

【二十歳のころ 高須克弥(2)】

医学部時代ノート貸してくれた女友達が「YES高須クリニック!」考案した女房

特集:
二十歳のころ
アイスホッケー部を立ち上げ、初代主将となった高須氏(後列左から2人目)。いきなり関東3位になった(本人提供)

アイスホッケー部を立ち上げ、初代主将となった高須氏(後列左から2人目)。いきなり関東3位になった(本人提供)【拡大】

 子供のとき、いじめられっ子だった。だから『姿三四郎』のような映画をみて、柔道や空手の強い三四郎やライバル関係の檜垣源之助に憧れていた。それで東海高時代に柔道もやったの。柔道である程度の自信がつくと次は「打撃」を覚えようと、昭和医大で空手部に入ったわけ。

 拓殖大から教えにきていた師範クラスの先生の下で強くなってね。蹴りなども身についたんだけど、そうなると人間って力試しをしたくなるでしょ? でも僕の空手の流派は寸止めが基本だったし、外でけんかしたら警察沙汰になっちゃう。どうしようかと考えて、合法的にフルコンタクトができるアイスホッケー部をつくったの。

 最初はみんな軟派なスケートはできたけど、本格的なスケーティングができないやつばっかり。キーパーも誰も経験ないから野球部のキャッチャーを引っ張ってきて、ゴール前に立たせた。一応はキャッチャーだからしっかりと反応できるんだけど、一度倒れると一人で起きられなくなって大変だった。それでもチームはデビューした大会でいきなり関東3位。4チームのうち、東京医大のゴールキーパーが骨折して棄権。それで3位に入ったわけ。立派でしょ。

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