2017.10.5 11:00

【二十歳のころ 高橋惠子(3)】女優復帰も公演すっぽかし…海外へ

【二十歳のころ 高橋惠子(3)】

女優復帰も公演すっぽかし…海外へ

特集:
二十歳のころ
演技だけでなく、自殺未遂などの騒動でも注目を集めた高橋惠子。自分の気持ちに正直に生きていた (1973年撮影)

演技だけでなく、自殺未遂などの騒動でも注目を集めた高橋惠子。自分の気持ちに正直に生きていた (1973年撮影)【拡大】

 「私のことを分かってもらえない」「こんなに苦しんでいるのに」と、22歳のときは思い詰めていました。お仕事で、というより、人間関係で悩んでいて、当時お付き合いをしていた方と、うまくいっていなかったのです。それで、不眠症のために、お医者さまからいただいていた睡眠薬24袋を一気に飲んじゃった。

 すぐに搬送されて一命を取り留めましたが、5分遅かったら危なかったそうです。ただ、病室で目が覚めたとき「あぁ、死ななかったんだ」というくらいで、何の感動もなかったですね。今は本当に死ななくて良かったと思っているので…。私がいうのも変ですけど、自殺だけは絶対に駄目です。

 自殺未遂後は休業して、お付き合いをしていた方と岐阜県の飛騨の山奥で2年暮らしました。自分を追い込んで自律神経失調症になってしまい、人としゃべることができなかったり、まともに歩けない状態だったので。全部辞めたら本当に自分がやりたいことが見つかるんじゃないかという思いもありましたね。

 飛騨では野菜を作ったり、釣りをしたり、散歩したり。自然に触れることがリハビリでした。16軒しかない山村でしたが、陶芸や織物をする若い人たちがいて、私も一緒に陶芸をさせてもらったりしました。

 以前から着物モデルを務めていた雑誌「家庭画報」の仕事は続けていたので、飛騨から名古屋まで出て6回分とか、まとめて撮影していました。

 東京に戻ろうと思ったのは飛騨で暮らし始めて2年目でした。ある日、小屋のようなバス停で待っているときに、その場所をお客さんがいる小劇場に想定していた自分がいました。

 「私はここにいる」「私を見てほしい」「私を分かってほしい」。そんな気持ちが、すごく出てきたんです。最初の年は今まで忙しすぎて感じなかった四季の変化が新鮮に映りましたが、2年目になると「同じことの繰り返しだ。やっぱり、演じることをやりたい」と思うようになりました。

 飛騨で暮らしているときに、映画など、いくつかお仕事の依頼も入っていましたが、全てお断りしていました。そんなとき、舞台「ドラキュラ」の話をいただきました。当時飼っていた猫がいなくなったんです。見つからなかったら、その猫が「もう1度、東京に行って仕事を頑張りなさい」と言っているのかなと勝手に思って、発見できなかったら東京に帰ろうと決めました。結局、猫は見つからず、「じゃあ、やれってことだな」と、舞台を引き受けたのです。

 自分ではリハビリも終わって心身ともに大丈夫だと思っていました。でも、復帰できる状態までは戻っていませんでした。舞台は7月12日に開幕しましたが、20日から千秋楽の29日までをすっぽかしてしまったのです。

 代役を務めてくださった市毛良枝さんら共演者、関係者のみなさまに大変迷惑を掛けてしまい、また「死のう」と思いました。まだ、そういう気持ちが残っていたのですね。精神状態が不安定だった私は、そのまま海外へ飛びました。 (あすに続く)

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