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【二十歳のころ 高橋惠子(2)】裸で泳ぐシーンをマスコミ集めて撮影

【二十歳のころ 高橋惠子(2)】

裸で泳ぐシーンをマスコミ集めて撮影

特集:
二十歳のころ
撮影の合間にサンケイスポーツのカメラに笑顔を向ける高橋惠子。デビュー2年目にして、大映のエース女優としての輝きを放っていた(1971年撮影)

撮影の合間にサンケイスポーツのカメラに笑顔を向ける高橋惠子。デビュー2年目にして、大映のエース女優としての輝きを放っていた(1971年撮影)【拡大】

 引退の二文字が頭に浮かんだのは、主演作第5弾「樹氷悲歌」(1971年)を撮り終えた16歳のときでした。

 自分とは対照的な、きつい性格の役を演じると「自分にもこういう面があるかもしれない」と悩んだり、何か行動していても「人ってこういうときに、こんな顔するんだ」と思ったり、演じることのために生活しているような気になって。

 職業病ですよね。プロ意識があったからこそなんでしょうけど、このまま成長したら人間的にゆがんでしまうんじゃないのかなと思い、「辞めたいです」と大映の所長に伝えました。

 そのときは「次の作品はもう発表してあるから、やってもらわないと困る」と言われたので、「分かりました。じゃあ、次の作品を最後に辞めます」と。そう言って撮影したのが、主演作第6弾「遊び」という増村保造監督の作品でした。

 これが最後と思って臨みましたが、撮影中に女優の面白さが分かったのです。増村監督は大映の中でもみんなが緊張するぐらい、映画監督としての力を持っていらっしゃる方でした。

 増村監督に、演技に正解はないし、無限の表現方法があるんだと“教えて”もらい、初めて演じることをきちんとやってみたいと思えたのです。そこで面白さを味わえたので、「頑張ります」と引退を撤回しました。危ないところでしたよね。監督と出会っていなければ、とっくに辞めていましたから。

 71年に大映が倒産し、東宝に入社。73年の主演映画「朝焼けの詩」でも、15歳でヌードになったデビュー作同様、世間をにぎわすことになりました。

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