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【二十歳のころ 五木ひろし(3)】忘れられないフジテレビのそばの味

【二十歳のころ 五木ひろし(3)】

忘れられないフジテレビのそばの味

特集:
二十歳のころ
五木ひろし

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 二十歳前後は仕事がまったくなく、生活費にも困る毎日。頼るのは実家のおふくろからの、たまの仕送りでした。成人式にも出ませんでした。そんな折、板橋から中野の安アパートに移り住んだころのことです。

 机の引き出しを整理していたら、隅っこからフジテレビの社員食堂の食券が何枚か出てきたんです。以前番組に出た際、ディレクターからいただいたものでした。毎日腹ぺこでフラフラだったので、まさに闇夜にちょうちんでした。

 当時、フジテレビは新宿区河田町にあり、中野の僕の自宅からは直線距離にして5キロはありました。1000円分ほどの食券を握りしめ、歩いてフジテレビの食堂へ。あのとき食べた温かいそばのおいしさは、今も忘れません。食べつなぐために残りの食券はすべて即席ラーメンに代え、数日しのぎました。

 そのころ一度だけ、なけなしの金で福井県に帰り、おふくろからアパート代を含め20万円もらいました。現代に換算すれば、2倍の40万円ほどでしょうか。親戚に頼んで工面したのでしょう。そのとき「生活に困っても、人に後ろ指をさされることはするな。間違ったことだけはするな」と言われたのを、今も肝に銘じています。

 おふくろがいやがるので黙っていましたが、離婚した父親からも、何度かこっそり頼んで、仕送りをしてもらっていました。親のすねかじりそのものですね。両親はもう他界しましたが、情けない二十歳でした。

 そのころです。住んでいた安アパートの住民の中に、新宿のサパークラブで働いている女性がいて、僕が歌手だと知り、「サパークラブで歌ってみないか」と誘ってくれたのです。

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