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【関西レジェンド伝】桂文枝(2)バトンタッチするなら、さんましかいない

【関西レジェンド伝】

桂文枝(2)バトンタッチするなら、さんましかいない

特集:
関西レジェンド伝
桂三枝(当時)は、「ヤングおー!おー!」の全盛期に番組から降りた。落語家としての大きな賭けだった

桂三枝(当時)は、「ヤングおー!おー!」の全盛期に番組から降りた。落語家としての大きな賭けだった【拡大】

 深夜ラジオの「MBSヤングタウン」で人気を得たぼくは、ヤンタンのテレビ版として1969年7月にスタートした「ヤングおー!おー!」に出演することになりました。吉本の若手芸人が出てコントやったり、ゲストの歌手が歌ったりと。これが若者にヒットしましてね、阪神-巨人戦の中継より視聴率がいいなんてときも。おかげでテレビの威力を知ることになりました。

 番組が始まったころは大阪市港区の弁天町にあった実家に住んでいましたが、アパートなので銭湯に行かなくてはいけないわけです。それが、家の前で女の子たちが待ってるんで、行けるもんじゃない。これはつらい。梅田のサウナに行ったりしてましたよ。

 番組は主に大阪の劇場やホールでの公開収録でした。初期は出演者も落語家です。後輩で個性の違う4人がいたもんで、月亭八方、桂きん枝、桂文珍、林家小染(四代目)の「ザ・パンダ」で大喜利なんかをしてました。その後で漫才師が出てきて、紳助・竜介、西川のりお・上方よしお、ザ・ぼんちらで「チンチラチン」というグループを組みました。

 彼らを仕切らなくてはいけないわけですけど、八方たちはすごい大人なんですよ。こうしてくれとか言ったことないです。ただ、落語家と違って漫才師はキャラが勝負みたいなもんですから、なかなか段取りを聞いてくれなかったですね(笑)。

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