昨年、作詞家・作家生活50周年を迎えたなかにし礼氏(78)。これまで4000曲以上を世に送り出してきたが、そんな希代のヒットメーカーにも乗り越えるのが困難な壁があったという。
11月16日に4枚組アルバム「昭和レジェンド 美空ひばりと石原裕次郎・なかにし礼」を発売することが決まり、先日、なかにし氏をインタビュー。自身が手掛けた美空ひばりさん(1989年6月死去、享年52)の全17曲、石原裕次郎さん(87年7月死去、享年52)の全34曲を含む61曲をひとまとめにした作品への思いを語る中で、意外な言葉が出てきた。
「いろんなヒット曲を書いているけど、ひばりさんと裕さんとの関係に関しては、なかにし礼が縦横無尽に腕を振るって書いたという印象がない。それは2人が放つオーラ、分厚いスターという壁があったからなんですよ」
63年に裕次郎さんから偶然声を掛けられ、作詞家の道を歩むことになったなかにし氏。74年には「憧れの人」だったひばりさんから作詞を依頼され、以後、2人とは公私で親交を深めていったが、「スター性というものが厳然としてあると、それを乗り越えて書くのは大変難しいんです」と語る。
かつて、裕次郎さんが「新しい人に詞を書いてもらいたい」と多くの作詞家たちにオーダーしたが、「誰一人書いてこない。誰も書けない。そういう存在なんです」と偉大さを説明。裕次郎さんとは多くの作品でタッグを組んだが、「やっぱり裕次郎という世界の中で僕も戯れているわけでね、大スターとなるとなかなか僕の世界に引っ張り込むことはできないわけですよ。だって、裕さんに『時には娼婦のように』を歌えなんて言えないじゃない(笑)。そういうある種の書きにくさはひばりさんも一緒」と、昭和のスターに書く難しさを語った。