野球の世界大会をいつか取材してみたい。僕が新聞記者を志した大きな理由のひとつだった。2009年開幕前。運良く第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のサムライジャパンに帯同して試合を追う機会をもらった。
主に阪神の2投手。藤川と岩田の動きを紙面化した。そんな中でも岩田とは年が近いこともあり、一緒に過ごす時間があった。「僕、ジャンクフード大好きなんですよ。アメリカのやつは、やっぱ大きいッスね」といいながら、本場のハンバーガーとポテトをおいしそうにほおばる姿に少し親近感を覚えた。そして買い物に出かけ、妻と息子へのおみやげ探し。「嫁が『カワイイやつがいい』っていうんですけど、それだけじゃ、よくわからないッスよ(笑)」。そういう横顔には、ほほえましいものがあった。
彼と過ごした約2週間。僕には忘れられないシーンがある。3月18日、サンディエゴ・ペトコパークでの韓国戦。1−3の八回二死二、三塁の場面で登板。押し出しを含む2四球を与え降板した。一夜明けた朝。岩田には珍しく自ら口を開き、早口で話し続けた。
「リリーフ、難しいです。こんなに悔しいのは久しぶりです。ホント、悔しいです。……。悔しいです」
日本代表・原監督は「彼は今後の日本というチームを背負って立つピッチャー」といい、満塁後も続投させた。岩田はこれを伝え聞き「本当ですか?! そんなこといってくださるなんて、うれしいです。頑張ります」と気持ちを新たにした。中継ぎの過酷さや厳しさを身をもって理解し、そして完投へのこだわりも、より強いものになったはずだと思う。
「僕、オリンピック出るのが夢だったんですよ。アトランタのとき、日の丸のユニホーム見て、かっこいいなって」
憧れ続けた『JAPAN』の文字。これからは、阪神の“エース道”を歩むだろう。担当は外れるが、応援しつつ見ていようと思う。
(山田結軌)