2007年09月23日 更新
【レスリング】吉田115連勝目は金!五輪連覇へ無敵で臨む

最強だ。試練を乗り越えて優勝した吉田は、気合のガッツポーズ(共同)

金メダルを首にかけ、ようやく笑顔だ(共同)
【バクー(アゼルバイジャン)22日=江坂勇始】世界レスリング第6日(22日、アゼルバイジャン・バクー)女子55キロ級でアテネ五輪金メダリストの吉田沙保里(24)=綜合警備保障=が女子では初の大会5連覇を達成し、この階級の北京五輪代表に決定した。01年から続いている連勝記録は、今大会の6勝を加えて「115」に伸びた。大会前の体調不良や試合中の反則行為でがけっ縁に追い込まれたが、実力通りのV。五輪連覇に向けて弾みをつけた。
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得意の高速タックルが炸裂する。吉田が決勝でカールソンに2−0完勝し115連勝。外国人相手の無敗記録も113に伸ばした。世界選手権5連覇を達成し、アテネ五輪を含めて6年連続の世界一となった。
「ほっとした。優勝すると本当に気持ちがいい。やめるまで無敗を続けたい」。五輪切符をつかみ取った吉田は、中京女大時代から指導を受ける日本女子の栄和人監督を飛行機投げで4度マットに叩きつけ、会場の爆笑を誘った。
がけっ縁からの優勝だ。3回戦のレンテリア戦で両手の指を絡めて折り曲げられる反則にあい、得意のタックルを返されて第1ピリオドを2−3で落とした。吉田がピリオドを落とすのは05年5月のW杯1回戦以来。手を腫らしながら、第2ピリオドを小差で取り、第3ピリオドは残り7秒でポイントを奪って競り勝った。この後2試合に勝って決勝進出したが、目に涙を浮かべた。勝てた安堵感とふがいない自分への怒り。珍しく感情をあらわにした。
アクシデントがあった。17日に当地入りしたが、19日夜から体調を崩した。関係者は原因として(1)宿泊先のプールで泳いだこと(2)食事中にとった乳製品−の可能性を挙げたが、下痢を発症して20日には体温が38.5度にまで上がった。栄監督が作った「もち雑炊」で持ち直したものの、完調にはほど遠かった。

決勝でカールソン(下)を攻める吉田(共同)
危機感を持って臨んだ。所属する綜合警備保障のCMで共演した柔道のシドニー五輪金メダルの井上康生が、13日に行われた世界選手権でまさかのメダルなしに終わった。強者も足元をすくわれることがある。気を引き締めた吉田は大会前、全試合フォール勝ちを目標に掲げ、体重が20キロ近く重い相手とスパーリングして寝技の強化に励んだ。「今の沙保里には刺激が必要」と栄監督。試練がクスリになった。
男子グレコローマン130キロ級で五輪3連覇し“人類最強”といわれたロシアの英雄、アレクサンドル・カレリン氏が吉田のテクニックを絶賛し「これからも連勝は続くだろう」と評したことがある。吉田は周囲から「五輪4連覇しろ」「結婚してからもやれ」と言われるという。「勝ち続けて引退して、だれも私に勝てなかったことにしたい」。試練を糧に強味を増した女王の五輪連覇に、死角はなさそうだ。
■吉田 沙保里(よしだ・さおり)
1982(昭和57)年10月5日、三重・津市(旧一志町)生まれ、24歳。レスリング元全日本王者の父・栄勝さんが主宰する一志ジュニア教室で3歳でレスリングを始める。三重・久居高−中京女大−綜合警備保障。アテネ五輪金メダル、世界選手権5連覇、全日本選手権5連覇。1メートル56。
■そのとき
父・栄勝さん(55)と母・幸代さん(52)はスタンドで娘の優勝を見届けた。73年全日本選手権男子フリー57キロ級で優勝している栄勝さんは「アテネのときは勝つ自信はあったけど今回はなかった」と安堵の表情。午前中の試合後、落ち込んでいた娘に「がんばって」と声をかけた幸代さんは「久しぶりに緊張した」と苦笑いだった。
◆富山英明・日本レスリング協会強化委員長
「沙保里らしかった。格が違う。相手が入ってくるタイミングを外して、うまくタックルしていた」
■連勝記録アラカルト
★レスリング 日本男子では、64年東京五輪金メダルの渡辺長武が189連勝、76年モントリオール五輪金メダルの高田裕司が88連勝。アレクサンドル・カレリン(ロシア)は87年から13年間負け知らずで、300連勝を超えたという
★他の格闘技 柔道では84年ロサンゼルス五輪金メダルの山下泰裕が203連勝、対外国人選手114戦無敗(3分けを含む)。柔道女子の谷亮子は84連勝を記録。大相撲で戦前の大横綱双葉山が69連勝し、戦後は横綱千代の富士が53連勝を記録している
★団体球技 バレーボール女子の日紡貝塚が59年から約7年間で258連勝。水球では日体大が関東学生リーグと日本学生選手権で21年間をかけ376、ホッケー男子で天理大が関西学生リーグで331連勝
■レスリング世界選手権
グレコローマンスタイルは1904年から、フリースタイルは1951年から始まり、ともに61年以降は五輪開催年を除く毎年開催となった。女子は87年にスタート。男子は3位以内、女子は五輪実施4階級で優勝すれば、北京五輪の日本代表に内定する


◆栄和人・日本女子監督
「最高だ。午前は調子が悪かった。どうなることかと思ったが、休養したら目つきが変わった。(試合後に)握手をしようと手を出したら、投げられてしまった」