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「プロ感覚」抜けず…審判も敵に回していた (2/2ページ)

2008.8.24 05:09
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「プロ感覚」抜けず…審判も敵に回していた
13日のキューバ戦の九回、里崎のハーフスイングの判定に抗議した星野監督。一度は審判が退場を宣告したが「チェンジ(選手交代)」と説明して事なきを得た【フォト】

 日本は銅メダルも逸した。悔しいし、残念でもあるが、それ以上に憤りもある。ロサンゼルス大会以降、アマチュアが苦労を重ねて積み上げてきた成果が、最後の最後に崩れてしまったからだ。

 敗因はいくつもあるだろうが、私はオールプロの彼らが、最後まで「箱庭」から抜け出せなかったからだと思っている。プロの彼らは整った環境下で、年に140回ほども同じ相手と繰り返し戦う。だが、五輪は違う。異なる野球文化で知らない相手と戦わねばならない。自分の庭でいかに秀逸な技能を誇っても、それを五輪でも発揮できるかとなると、話は別だ。

 その点、アマは国際大会に慣れており、審判も含めて、対戦相手の全容をよく把握していた。

 具体例を挙げれば、初戦のキューバ戦で星野監督が審判に猛抗議したシーン。国際大会に慣れている者には、考えられない行動だった。審判団は試合後に反省ミーティングを開く。「日本はいったいなんなんだ!!」となったのは必至で、ストライクゾーンなど日本へのジャッジが最後まで辛めだったことは、決して偶然ではないだろう。

 捕手のキャッチングひとつ取ってもそう。ゾーンぎりぎりの捕球時、プロの捕手たちは微妙に手首を内側に返してゾーン修正していたが、何気ないこの行為も、国際大会では審判の技能をばかにしたことになり、10人目の敵を作ることになる。

 キューバ戦敗戦の翌朝、私は日本から田淵に電話して「星野に恥をかかせるな」と猛ハッパをかけたが、ベンチワークは最後まで改善されなかった。(松永怜一)

松永怜一(まつなが・れいいち)

 1931(昭和6)年11月3日、福岡県生まれ、76歳。福岡・八幡高、法大で内野手として活躍。法政一高、堀越高の監督を経て、65年に法大の監督に就任。東京六大学リーグで6度の優勝に導く。田淵幸一、山本浩二らを育て、法大の黄金期を築いた。71年から社会人野球の住友金属を指揮し、日本選手権で2度優勝。野球が五輪の公開競技だった84年のロサンゼルス大会では日本代表監督として金メダルを獲得。昨年1月に野球殿堂入りを果たした。



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