【第30号】花原勉−終了間際に決めた投げ技の切れ味
(64年東京・レスリング・グレコローマン・フライ級=52キロ)
強豪ケレゾフ(ブルガリア)との優勝決定戦。終了間際に花原の投げ技が決まる。ポイント4−1。静まり返っていたスタンドは優勝が決まると、「ハナハラ」の大合唱。割れるような大騒ぎになった。
バンタム級の市口に続くグレコ2つ目の金。フリーと合わせ目標にしていた金5個の達成に、花原も市口も皆涙した。
花原はこのとき24歳。小学校では病弱で肺炎で死にかけたほどだったが、柔道に巡りあってたくましくなった。ところが1メートル60余りの小柄では体重無差別の柔道では辛い。高3の時、メルボルン五輪のレスリング金のニュース映画を見て、「これなら自分も世界一になれる」と決意した。
日体大に進学と同時にレスリング部に入部。解剖生理学の本を読んで研究し、2年時に、全日本選手権に初出場し初優勝。背負い投げは柔道で鍛えたたまものだ。
日体大で教べんをとるかたわら、ソウル五輪では強化委員長として金2銀2を獲得し、お家芸復活に貢献。息子の大介はバルセロナ五輪グレコローマンで親子2代出場を果たした。

