【第26号】吉田義勝−八田イズムの申し子
(64年東京・レスリング・フリースタイル・フライ級=52キロ)

1964年東京大会で優勝し、表彰台で2位選手と握手する吉田義勝(右)
たて続けに日の丸3本が表彰台の中央に上がった10月14日のレスリング・フリースタイル決勝。真っ先に勝利の雄たけびを挙げたのが、フライ級の22歳、吉田だった。
韓国・張との決勝は鼻血を出しながら、なお攻撃を続け、終了間際に片足タックルからニアフォールの態勢に入ったところでゴング。吉田の手があがると、満員の駒沢体育館は文字どおり歓声で揺れた。
小柄だった吉田は、中3の時、旭川で行われたメルボルン五輪金の池田三男らのパレードを見て、レスリングを志した。全日本では、八田一朗監督から、徹底した精神主義で鍛えられた。
明るいライトのついた道場で寝かされたり、負ければ下の毛まで丸坊主、合宿の食事は、必ず、社会人は背広、学生は学生服でとる…。地獄の思いを乗り越えたことが、大会直前に発熱するアクシデントの中で、金メダルへとつながった。
翌年、日大卒業式に向かう途中、国電の中で金メダルを“置き忘れ”(ソウル金の小林も同様の事件を起こしている)。のち見つかるというお騒がせもあったが、八田イズムは社会人(明治乳業)で生かされ、ビジネスマンとしても成功した。

