第5回 ストックホルム大会
日本初参加、金栗四三「55年の力走」
★日本勢が陸上400メートル、マラソンで初出場
| メダル獲得ベスト5 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 順 | 国名 | 金 | 銀 | 銅 |
| 1 | 米国 | 27 | 19 | 19 |
| 2 | スウェーデン | 24 | 24 | 17 |
| 3 | 英国 | 10 | 15 | 16 |
| 4 | フィンランド | 9 | 8 | 9 |
| 5 | フランス | 7 | 4 | 3 |
| 日本 | 0 | 0 | 0 | |
1909年に嘉納治五郎がIOC委員に選ばれたのを機に、この大会に日本から初めて選手を送りこんだ。陸上競技短距離の三島弥彦(東京帝大)とマラソンの金栗四三(東京高等師範学校)の2選手。三島は400メートル予選で疲労が激しく、準決勝を棄権。金栗は日射病のため32キロ地点で無念の途中棄権をした。
それから55年後の67年3月、75歳の金栗はストックホルムに招待され、当時の競技場で悲願のゴールテープを切った。そのとき流れたアナウンスは「日本の金栗、ただいまゴールイン。タイムは55年。これで第5回ストックホルム大会の全日程は終わりました…」。
また、有名な“ジム・ソープ事件”が起きている。陸上の五種、十種競技で2冠のジム・ソープ(米国)が、1909年と10年の夏に野球のマイナーリーグに在籍していたことが後日判明し、13年に金メダル2つを剥奪されたのだ。IOCが04年大会から設定していたアマチュア規定を初めて適用したケースだった。時を経て、IOCは74年版のオリンピック憲章から“アマチュア”の語を削除。83年1月にソープの子供に2つの金メダルを返還した。
■第5回ストックホルム大会(スウェーデン)
・1912年5月5日〜7月22日
・15競技102種目
・28カ国2437選手参加

