2008年05月03日 更新

メジャー仕込み逆輸入の日本ハム・多田野が初先発初白星!

独特なフォームで快投を演じた多田野。岩隈に投げ勝つ価値ある1勝だ(撮影・高橋茂夫)

独特なフォームで快投を演じた多田野。岩隈に投げ勝つ価値ある1勝だ(撮影・高橋茂夫)

 (パ・リーグ、日本ハム5−1楽天、9回戦、楽天5勝4敗、2日、札幌ドーム)札幌ドームの大歓声をバックミュージックにテンポよく投げ込む。表情は変えない。多田野が独特のギクシャクした投法で初登板初白星。勝利の瞬間を確認して、三塁ベンチではにかんだ。

 「これだけの観衆(4万1124人)の中で投げたのは高校時代の甲子園とヤンキースタジアムがありますが、ホームの大声援を受けるのは初めて。本当に力になりました」

 この日最速は139キロだったがストライクを先行させ、楽天打線を手玉にとった。二塁を踏ませぬ快投で7回1安打無失点。わずか74球で日本球界1勝目を手に入れた。

 今年1月の自主トレ中に左手首を骨折し、2軍戦登板も1試合のみ。武田勝の戦線離脱による緊急登板だったが「米国で5年やった経験が生きた」と28歳のルーキーは胸を張った。

 努力の男でもある。日本選手の特徴を知るために、2軍戦で投げない日はスタンドやバックネット裏から自主的に観戦。選手名鑑を手に対戦相手を研究した。

 旧友からも力をもらった。3月25日。古巣アスレチックスの関係者にチームパスをもらい、レッドソックスとの開幕戦が行われた東京ドームへ足を運んだ。ロッカールームでは監督や元同僚と再会。今季正捕手として活躍中のカート・スズキ(24)ら、マイナー時代に練習をともにした仲間の存在を刺激に変えた。

 日本で挙げた初勝利は「米国(の初勝利)と同じくらいうれしい。(でも)これが終わりじゃないですから。もっと勝ち星を増やしたい」。逆輸入右腕の本領発揮はこれからだ。

(吉村大佑)

★多田野に聞く

 ――日本で初勝利

 「けがで出遅れてチームに迷惑をかけたけど、(きょうは)貢献できて本当にうれしいです。たくさんのファンが(球場に)来てくださって、背中を押されているような感覚で投げました」

 ――打線の援護もあった

 「味方が(一回に)2点を取ってくれて、気持ちが楽になりました。感謝しています」

 ――米大リーグと日本での勝利の違いは

 「初勝利が2回きましたね。米国と同じぐらいうれしい」

 ――ウイニングボールは

 「どうしましょう…。これから考えます」

 ――今後に向けて

 「これで終わりじゃないですから、もっと勝ち星を増やしていきたいです」

◆好投した多田野について日本ハム・梨田監督

 「よくやってくれた。“ただの投手じゃない”と言ったでしょう。孝行息子。これから頼りになる投手がまた1人現れた」

★多田野の母も観戦

 多田野の母・寛子さん(62)が札幌ドームのバックネット裏席で観戦。息子の好投を見届け「こんな日が来るとは。ボコボコにされるんじゃないかと怖かったです。いいことってあるんですね」と安堵(あんど)の表情。うれしい初勝利だったが「まだ1勝です。あんまり調子に乗ってほしくない」と注文も忘れなかった。

■データBOX

 日本ハム・多田野が7回1安打無失点で、公式戦初登板初勝利。チームでは金森敬之が昨年5月25日のヤクルト戦(救援)で記録して以来だが、先発では八木智哉が06年3月31日のオリックス戦でマークして以来、2年ぶり。ちなみに、このときの八木も無失点(5回0/3)だった。

★ファームで調整

 初勝利を挙げた多田野だが、骨折した左手首が完治していないため3日に出場選手登録を抹消される。1軍に帯同するが「1度、2軍(の試合)で100球くらい投げて、その回復具合を見たい。リハビリの段階なので」と吉井投手コーチ。代わりに伊藤剛投手(31)が1軍に昇格する。

■多田野 数人(ただの・かずひと)

 1980(昭和55)年4月25日、東京都生まれ、28歳。八千代松陰高から立大進学。東京六大学リーグでは通算20勝14敗、防御率1.51。02年のドラフトで漏れた後、03年にインディアンスとマイナー契約。04年にメジャーデビュー。アスレチックスなどを経て、昨秋の大学生・社会人ドラフト1巡目で日本ハムに入団した。メジャー通算成績は15試合に登板、1勝1敗、防御率4.47。1メートル81、80キロ。右投げ右打ち。独身。年俸3000万円。背番号16。