2008年04月16日 更新

元大洋投手・森中千香良さん逝く…球界からは惜しむ声

 元プロ野球大洋(現横浜)投手の森中千香良(もりなか・ちから)氏が14日午後4時55分、すい臓がんのため、奈良県大和郡山市の病院で死去した。68歳だった。16日に家族葬を大和郡山市筒井町28の1、義弟の中川茂治氏宅で行う。喪主は兄、森中明善(あきよし)氏。

 森中氏は奈良・奈良商工高(現奈良商高)から1958年に南海(現ソフトバンク)にテスト入団。63年に17勝8敗で最優秀勝率を獲得。67年に大洋に移籍し、18勝を挙げた。75年に引退し、野球解説者としてニッポン放送などで活躍。通算成績は517試合に登板し、114勝108敗、防御率3.49。オールスターに2度出場した。

★江本孟紀氏、森中さんの死を悼む

 あれが、虫の知らせやったのかもしれんね。お見舞いの代わりやないけど、亡くなる前日(13日)に大阪・難波の南海ホークスの記念館を見学して、森中さんが投げている写真パネルを見つけた。写メールで撮って送ってあげたんやけど、おそらく見られなかっただろう。

 2週間ぐらい前に電話したときには「声が出ない…」って。最後は筆談になっていた。

 南海は入れ替わり入団だったけど、いつからか“後輩”って面倒をみてくれていた。お互いに選手を引退してからも、OBクラブや個人事務所の手伝いもしてくれていた。家族ぐるみのつきあいで、本当によくしてもらって何とお礼を言っていいか。

 まだ早すぎるよ。先日の加藤(博一氏)に続いて、森中さんまで…。野球人が亡くなるのは、やっぱりさびしい。冥福(めいふく)をお祈りします。

(サンケイスポーツ専属評論家)

◆森中氏と南海でバッテリーを組んだ楽天・野村監督

「球は速かったが、入団当初はノーコンだった。オレが捕手に自信を持ち始めたころのルーキーだったから“ストライクさえ投げてくれば、オレが勝たせてやる”と言い聞かせていた。同じテスト生出身だからかわいくて、銀座にも連れていって、“一流になりたければ、一流の店で遊べ”って教えたのを覚えている」

◆北京五輪野球日本代表・星野監督

「2年くらい(中日の)ファームのコーチをやってもらったけれども、いいコーチ、そしていい男でした。選手に親身になって、優しく、しっかりとものを言う人で、監督だった私も色々な経験談などアドバイスをいただいた。チームのみんなから慕われる人で、ああいうタイプのコーチは今はもう少ないんじゃないかな。お悔やみ、申し上げます」