1970年7月18日のオールスター戦(神宮)での一コマ。南海時代の野村さん(右)は巨人・長嶋氏と並んで取材を受けた 巨人・長嶋茂雄終身名誉監督(83)、ソフトバンク・王貞治球団会長(79)は11日、野村克也さんの死を悼んだ。球団を通じてコメントした長嶋氏は同学年のライバル、仲間として過ごした日々に思いをはせた。王会長は、春季キャンプ地の宮崎・生目の杜運動公園内で在りし日を振り返った。自身を「月見草」にたとえた野村さんが「ヒマワリ」と表現した2人のレジェンド。共通する思いは歴史を紡いだ同志としての誇りだった。
突然の訃報だった。後世まで語り継がれるであろう同学年の同志を亡くした喪失感が、長嶋氏のコメントには、にじみ出ていた。
「驚いた。テレビのニュース速報で、訃報を知ったが、一瞬、言葉を失った」
先月21日に東京都内で行われた通算400勝左腕、金田正一さんのお別れの会で会ったばかり。車いすで訪れた野村さんに「おい、頑張っているか。俺はまだ生きているぞ。まだまだ頑張るぞ」と声を掛けられた。「お互い頑張ろう」と返したミスター。それから3週間。盟友が旅立った。
欧州旅行の思い出は今でも印象深い。「まだ現役だった1963年、ノムさん、稲尾、王の4人でイタリア、フランスなどを巡るヨーロッパ旅行に出掛けたことがある」と回顧した。
当時、フランスの航空会社がスポンサーとなってリーグMVPの選手らを欧州の周遊旅行に招待。レジェンド4人はローマの「トレビの泉」やパリの「エッフェル塔」をまわった。海外旅行の自由化は翌64年のことで、今ほど一般的ではなかった時代のことだ。
巨人、ヤクルトの監督として対戦した90年代の争いはし烈を極めた。セ・リーグは93、95、97年は野村ヤクルトが、94、96年は長嶋巨人が優勝。「巨大戦力」「再生工場」などと比較された。