平成元年に指揮を執る村山監督(右端)。苦しいシーズンだった
平成3年(1991年)6月14日付け大阪サンスポ3面複写 ギャラリーページで見る 開幕3連勝できたかも…。いやいや、欲張ってはいけない。これだけ点が入らないのに2勝1敗と勝ち越したのだから。「暗黒時代」と呼ばれた、平成が始まった頃なんて何度、開幕3連敗を見たことか。とにかく明るい。遠い昔の負け癖なんて忘却の彼方に忘れ去った矢野燿大新監督(50)のお陰だろう。新時代の到来にあえて遠い昔の話を持ち出してみる。新連載「平成の虎から令和の虎へ」がスタート。猛虎の未来のために「平成」の阪神を4回に渡って検証する。 (上田雅昭編集委員)
(1)平成最初の将・村山実
そういえば、あの頃も打てなかった。弱い時代の阪神ファンなら、ついつい共通点を見つけてしまうのかも。開幕3試合で貧打に泣く虎打線。ただ、当時と開幕をスムーズに滑り出した矢野阪神の違いは勝ったか、負けたか。この差は大きい。
セピア色の当時の紙面が、まだ昭和を感じさせる。新聞がカラー印刷導入に踏み切ろうと準備していた時代。1989年1月8日付、昭和天皇の崩御を報じる新聞が平成最初のサンスポとなる。
1面はミスタージャイアンツ長嶋茂雄。昭和天皇との思い出を綴っている。最終面には天覧試合(注1)で名勝負を演じた相手でもあるミスタータイガース村山実。「あの試合が私の野球人生のスタートだった」と感謝しつつ、本音も漏らしてしまう。
「あれはファウル」
天覧試合で長嶋に打たれたサヨナラ本塁打を、30年経過しても認めない回顧録を読まされ、「まだ言うか…」と苦笑いした読者も多かったはず。どこまでも真っ正直。一直線。常に直球勝負…すぎる人だった。
そんな村山は、平成最初の虎の指揮官でもあった。昭和の最後のシーズンから指揮を執り、平成元年は2シーズン目。再建の切り札、といえば聞こえはいいが、とんでもない時期に引き受けさせられたものだ。
1985(昭和60)年日本一フィーバーはどこへやら。86年3位、87年は2リーグ分立後チーム最少勝ち数タイ(41勝)で、さらに最低勝率(・331)。バブルが弾けた日本経済のように、不良債権を抱え込んだ銀行のように、タイガースは借金を抱え込むペナントレースを過ごしていた。「暗黒時代」の幕開けだ。