2018.8.10 14:00

【甲子園に恋して】江川卓(上)「初代怪物」の素顔はきちんと話ができる17歳

【甲子園に恋して】

江川卓(上)「初代怪物」の素顔はきちんと話ができる17歳

1973年の第55回大会で注目を集めた「怪物」こと江川卓。取材の受け答えもしっかりしていた

1973年の第55回大会で注目を集めた「怪物」こと江川卓。取材の受け答えもしっかりしていた【拡大】

 マスコミはすごい選手が出ると、すぐにニックネームをつけます。「怪物」と呼ばれた最初の投手は、作新学院(栃木)の江川卓君でした。

 2年生だった1972年夏の栃木大会は、2回戦から準々決勝まで3試合連続でノーヒットノーラン。小山との準決勝も延長十回二死まで安打を許しませんでした。十一回にサヨナラスクイズを決められて甲子園出場はかないませんでしたが、名前は全国に知れ渡ったのです。

 当時、産経新聞紙上に『こんにちは』というタイトルのコラムをもっていた私は、どんな子だろうと興味を持って、秋に初めて小山市の江川家を訪ねました。

 見た目は丸刈り頭のどこにでもいる高校生ですが、大人ときちんと話ができるほど、しっかりした17歳でした。

 法大では東京六大学リーグ歴代2位の通算47勝(1位は法大・山中正竹の48勝)をマーク。巨人でもエースとして活躍しましたが、最もすごかったのは2年秋の関東大会の準決勝(銚子商=千葉)だったと思います。

 2年後の夏に全国制覇を果たす“黒潮打線”を相手に、ボール球はほとんど投げずにストライク勝負。20三振を奪い、1安打完封でした。決勝でも横浜(神奈川)から16三振を奪い、6-0の完封勝利。翌春のセンバツで、ついに「怪物」が甲子園の土を踏むことになりました。

名取 和美(なとり・かずみ)

 埼玉県出身。慶大卒。1965年に産経新聞社に入社し、69年からアマチュア野球担当。87年にサンケイスポーツへ異動。計25年間にわたって甲子園大会で取材を続けた。96年に退社後も、OGとして球場に足を運ぶ。現在は野球殿堂特別表彰委員会委員、全国野球振興会理事。

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