2017.11.10 11:00(1/3ページ)

【二十歳のころ 野村克則(4)】「2世」といわれて全てがおやじに直結…すごく嫌だった

【二十歳のころ 野村克則(4)】

「2世」といわれて全てがおやじに直結…すごく嫌だった

特集:
二十歳のころ
明大野球部の寮にいた時代の野村氏(左)。ここで心技体を鍛えた (野村克則氏提供)

明大野球部の寮にいた時代の野村氏(左)。ここで心技体を鍛えた (野村克則氏提供)【拡大】

 明大3年のときに別府隆彦監督にすすめられ、一塁手から捕手に転向しました。このポジションは、本当に大変なことばかり。やることが試合中はもちろん、始まる前からたくさんあります。

 ミーティングで相手を分析したり、状況をみて球種の選択をしたり。投手を何とかよくしたい、という気持ちはいつもあったし、打たれれば責任を感じます。自分がサインを出した一球一球で勝敗が変わる。でも、打者を抑えたり、試合に勝ったりしたときの“優越感”のようなものは、他のポジションでは味わえない。二十歳になって、その感覚を知ることができました。

 捕手になってからは打撃不振に悩みましたが、4年秋のリーグ戦に優勝して出場できた明治神宮大会では、本塁打も打てた。その直後、1995年秋のドラフト会議で3位指名を受け、おやじ(克也氏)が監督を務めていたヤクルトに入団しました。

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