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【二十歳のころ 野村克則(3)】人生の転機、捕手そして父と同じ背番「19」

【二十歳のころ 野村克則(3)】

人生の転機、捕手そして父と同じ背番「19」

特集:
二十歳のころ
捕手に転向した野村氏。背番号は19をつけた

捕手に転向した野村氏。背番号は19をつけた【拡大】

 主将だった堀越高時代は、桑原秀範監督の厳しい指導に耐えかね、おふくろ(沙知代さん)に「やめる」と口にしたこともありました。「そうか、やめて帰ってきな」と言っていましたね。でも、やめなかった。明大でも下級生時代は、つらい思いが多かった。それでもやっぱり、野球をやめなかった。「俺はプロになる」という強い意志があったからです。

 大学のときは、よく練習したと思います。1人で投球マシンを相手に毎日打っていました。1993年、大学2年の春から、一塁手として正式にメンバー入り。その後の野球人生にも関わる大きな転機が訪れたのは、3年になるときでした。

 「キャッチャーをやってみないか」

 明大の別府隆彦監督に、そう言われたのです。巨人にドラフト2位指名された2学年上の正捕手、柳沢(裕一、楽天2軍バッテリーコーチ)さんが抜けた後でした。「プロに行きたいなら、ファーストよりもキャッチャーをやっていた方がいいんじゃないか」と言われ、「はい、やります」と返事をしました。

 さらに別府監督は「背番号は19をつけろ」と言う。おやじ(克也氏)の現役時代の番号です。それまでは一塁手だったので「13」とか「3」だった。あまり納得いかなかったのですが、「まあ」という感じでした。

 大学3年が捕手人生の本格的なスタート。しかし始まりは、順調ではありませんでした。

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  • 明大時代の集合写真。後列中央が野村氏、手前はハーラーさん(ともに野村克則氏提供)
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